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カテゴリ:映画
●「映画はついに百歳になった」四方田犬彦氏
誰がパゾリーニを恐れるか より *ブルジョアジーが築き上げている公序良俗の神話を破壊し、その裏側に隠されている性の倒錯のタブーを明るみにだそうというのが、ある時期にパゾリーニが採った戦略でした。 (豚小屋、テオレマの解説がありますが、途中略します。) こうしたスキャンダラスな物語を集大成したのが、奇しくも遺作となった「ソドムの市」でした。サド侯爵の「ソドム120日」を原作に仰いだこのフイルムは、舞台を第二次大戦末期にムッソリーニがイタリア北部サロに擁立した最後のファシスト政権の時代に移し、およそ考えられるかぎりの性倒錯のオン・パレードとなっています。といってもポルノグラフィックな興奮はまったく不在で、残虐行為を演じることとそれを語ることとのあいだの、冷たい形而上学的な差異に向けられた情熱がフィルム全編を支配しています。 (以下略) ●映画監督ベスト101 川本三郎編 (新書館) ピエル・パオロ・パゾリーニ---丹野達弥氏の解説より *残念なことにつづく「デカメロン」以下の"生の三部作"は、作家としての後退だった。この能天気ぶりはアメリカの性革命屋と変わらない。しかしさすがはパゾリーニ、これらを自己批判してあの陰鬱な「ソドムの市」を撮る。出来はともかく、主張のある硬骨漢の仕事だった。 丹野氏の解説も、これは一部ですが、全文エキサイティングでした。 パゾリーニは観客の深層に眠っているものを呼び起こしたり、また、見るものにおぞましさでもって挑戦したり忍耐を強います。精神の強度も要求されます。 こうして読み返してみて、以前よりパゾリーニが理解できるようになったかも。 カインさん、哲さんに感謝です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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