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カテゴリ:読書
ユリイカ5月号藤田嗣治特集を読み、同じ明治生まれでその対極にあると思われる高島野十郎と金子光晴のことを思い出し、その関連の本を読んでいた。
藤田嗣治(1886-1968) 1913-1929 仏留学 1929 帰国 1930-1932 仏~南米旅行 1932 帰国 1939-1940 渡仏 1940-1949 帰国 1949 渡米 1950-1968 渡仏・仏国籍・カトリック洗礼 高島野十郎(1890-1975) 1929-1933 欧州旅行 金子光晴(1895-1975) 1919-1920 欧州旅行 1928-1932 東南アジア・欧州旅行 ●年表から見ると、高島野十郎と藤田のパリでの接点はないようだ。 ●金子光晴著「絶望の精神史」の--3.ヨーロッパのなかの日本人 の章に 彼は(←出島春光という人物)は、こわもての日本人荒らしとして、在留邦人のダニと言われていた。もともと、絵で身を立てるというよりは、藤田嗣治や、日本画の戸田海笛のように、フランス人を相手にはでに一花咲かせたいという望みをもっていたが、おもうほど、それはやさしいことではなかった。 という記述がある。 また「詩人--金子光晴自伝」第三部 棲みどころのない酋長国 の章に シュルの詩人デスノスとも知合いになった。彼はお雪さんの情夫のような格好で藤田の家でごろごろしていた。 と書かれているので、金子と藤田とはある程度の交流はあったのではないだろうか。 しかし、この二冊の本では、藤田の戦争画についての言及はされていない。 ●高島野十郎は「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」 と人里はなれた場所に一人で暮らし、絵を描き続けて亡くなった。孤高の画家といわれる。 その名が知られるようになったのも、ごく最近のことだ。 亡くなったのは、金子光晴と同じ1975(昭和50年)だったとは。 ●夫々の生き方について、知れば知るほど感慨を覚えるものがあった。 ●高島野十郎については以前の日記に書いたことがあるので、自己トラツクバックしておきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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