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テーマ:TVで観た映画(3913)
カテゴリ:映画
BSで久しぶりにイラン映画を見ることができた。
●『こんなに近く、こんなに遠く』 So Close,So Far 2004/イラン 制作・監督・脚本 レザ・ミル・キャミリ 音楽 モハマド・レザ・アリゴリ 撮影 ハミド・コズィ・アブヤネ 脚本 モハマド・レザ・ゴーハリ たいへん精緻に作られていて、私にも映画の構成について理解できるような気がして、番組録画したDVDを何度も観た。 題名が表しているように、いろいろなことがらが細部にいたるまで、対比、対照、対称されてラストシーンへと、収束されていく。 例えば、生と死、都市(人工)と砂漠、都市と村の暮らし、男と女、父と息子、墓穴堀りと井戸掘り、富者と貧者、トヨタとベンツのマーク、ネクタイとスカーフ、キリスト教とイスラム教、抽象と具象、etc.. それらは、---こんなに近く、こんなに遠く--- 冒頭、ペルシャ文字(たぶん出演者の名前と役名)が映し出されているあいだに、大封筒を乗せて走るバイク便が挿入されるのだが、これは死への招待状を持つ死神なのだと、後でわかる。 場面はガラリと変わって、著名な脳神経外科医アーラムのゲスト出演するテレビ番組の制作風景。 ここで、主人公の紹介がなされて、これは映画ですよ、ということを観客に確認させる仕掛けのようだ。「神の御名の下に」 隣のスタジオで磔のキリスト役者が携帯電話を受け取る様子、 アーラムが両手の指を組み合わせているのを見て、悪運を呼ぶと注意する老人、 診察室での停電の明滅、砂漠の地底のガソリンスタンドの不吉な数も、 みな、ラストシーンへの暗示となっている。 音楽も今まで見たイラン映画とは異なるもので、情感あるメロディーが美しく使われていた。 突き放したようなそっけなさではない、映画だった。 苛酷な砂漠の風景と共に、セリフもとても心に残るものだ。 ハジ(経験者の意らしい) ▼この荒涼とした砂漠も本質は別にあるのさ 物事は二面的だ 目に映る姿と 心に映る姿がある よい面もみないと ▼砂の大地と満天の星 天文学もまた独自の世界観を持つ ▼昔の天文学は人の運命を知るための手段だった 空にある月と星の位置からね 星たちは光るだけじゃなく 話しかけてくれる 砂嵐で人やラクダが埋まってしまったとき 彼は星の声を聞いて“そこだ”と指をさすのさ ▼狭苦しい墓では死者が気の毒だ 死者は青年の背丈に戻る ▼死んだばかりの者と花嫁は似ているんだぞ どちらも運命の館へ向かう サーマーン(アーラムの息子、写真と手と声だけの出演) ▼星は星雲の中で産声をあげ 星雲の中で死んでいくんだ 例外はなし 今見ている星も 数百年前に死んでいて 宇宙を旅した光だけが届いているのかも 近くて遠いんです 僕らの物差しで測れば遠い 宇宙の物差しなら近いけれど 気づく人は少ないので ▼NASAは2007年に太陽系外へ宇宙船を飛ばす これまでで一番遠い宇宙を目指すのさ 無人の宇宙船だよ 声のメッセージがその宇宙船に積み込まれる いろんな人のいろんな思いを はるかな未知の世界へ運ぶのさ 宇宙が潜んでいるかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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