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カテゴリ:読書
時々覗かせていただいている詩人Mさんのブログで紹介されていた、藤井貞和さんの詩を読ませていただき、久しぶりに「ピューリファイ」(書肆山田 1984年)を紐解いた。
するとすると、一所懸命読んでいたアーレントの、労働・仕事・活動についての一つのヒントが、この詩の中にあるのを見つけてしまったのでありました。 この詩を参考にしてまた、アーレントを読んでみよう。 だが私が「詩」について語れることは何もない。 寂しいことだが。 引用つまり労せずに詩を…… 藤井貞和 労働とは 労働とは 神の力によって にんげんに課せられた 「罰」であります というのが ユダヤキリスト教的な伝統による「労働」の考えであります 労働とは 労働とは 売買という操作のなかで とけあって一つになるような「労働一般」であります というのが 商業経済の体制下における「労働」の考えでありました 古代ギリシア人の考えは ヴェルナンによると 第一に たとえば椅子の本質とはその使用目的に各部分が 完全に適合することですから それは、すでに、材料である木の中に存在するのであって 職人の役割は この本質を できあがった物体に移しかえることだけです 第二に 人間の活動には ふたつの型があって 両者のあいだには本質的な区別があります すなわちプラークシスは 行為をする人間が自分自身のために事物を使用する行為であり ポイエーシスは 事物をそれ自体の目的のため あるいはそれを使用する人の目的のために作り出す行為であります したがってプラークシスに該当するのは たとえば哲学者が自分の学説の正しさを聴衆に説得する行為とか 政治家が市民に演説する行為などです しかし、この語は 職人の仕事には絶対に当てはめることができません 絶対に なぜなら 職人が物を作り出す際には 自分自身に属する目的のためにではなく 作るべき物の本質によってあらかじめ決定されている目的のため あるいは使用する人の必要、欲求に応じて その行為を行うからであります そのように行為はポイエーシスなのであります 労働とは 労働とは 「行為」と それから「詩」と ふたつの型から成り立っているのでありました 「詩」は、それから 商業経済の体制下では、汗みずたらしてそれを「作り出す」と お金になることもできるようになっているのであります しかし、それ、「詩」は 神の力による 「罰」なのでもありまして この『四』誌のように苦しんで お金が出てゆくこともあるわけであります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.09 17:23:39
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