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カテゴリ:ワタシのこと
もうおめでたい年ではありませんが、娘にはマイナス十歳の年齢ということにしています。周りに喋ってしまうので。。(^^;。 ちなみに私の本来の予定日は7月17日、娘は7月18日(実際は6月13日生まれ)でした。生まれた時間も私は14時31分、娘は14時26分で、これは親子になる運命だったんだろうと確信しています。 さて、誕生日は生んでくれた母親に感謝する日でもありますが、私が今後母に親孝行できることはないだろうし、母も娘の誕生日など忘れたのではないかと思ってます。 書籍を読んだりネットで検索すると、母の認知症は初期ではなく中期ではないかと感じます。しかし、本人の拒否で今年三月現在、何の認定もサービスも受けていませんでした。 今後どうなるかは分かりませんが、兄と冷静に話し合うのは無理なので母の死後は再び調停のお世話になるかと思います。相続は放棄する方向です。 いろいろトラブルがありましたが覚え書きのつもりで。 ・夕食後寝るまでの間に娘が「お腹がすいた」というと「腹一杯たべさせないからだ」と目を吊り上げて怒り、毎日のようにそれが繰り返されたので、娘が「おなかが・・」と言いかけると、私「しっーー」と黙らせる始末でした。 ・娘が偏食で食べられないものが多いため、料理を「作りがいがない」とこぼしていました。私「でも、一人の時よりは張り合いがあるんじゃない?」母「一人きりの時の方がが栄養のバランスを考えて何食も作ってやりがいがあるし、よっぽど充実していた」と言い放つ。 ・娘の「御教訓絵本」に「ほうれんそうは野菜ではない。報告、連絡、相談だ」と書いてあり、それをみた娘が「ほうれん草は野菜じゃないよね?」と、母に聴く。祖母は「野菜だ。」と言う。娘は「ちがう!野菜じゃないとこの本に書いてある!」と、絵本を片手に喚く。母はうんざり顔で「病気なんだから、大学病院の先生によーーく診てもらってきなさい!」と吐き捨てる。 ・大きい音が苦手な娘は保育園の避難訓練のベルの音も恐がり、恐怖で避難訓練の日に登園できないこともあった。保育園との話し合いの結果、緩和策として「耳栓をつけたらどうか?」と提案され、娘も納得。で、「避難訓練の時には耳栓をつけるの!」と、母に報告。すると「そんなもの使わないで!」と言われ、娘は混乱して「ばあちゃんにこう言われた!」と私に訴え、事情を母に説明するも 「この子は告げ口をするから、ガッカリさせられるわ。」と発言。
・ 娘が風邪をひいて喉がいらいらして咳払いを何度もしていると、母「気になって気になってしょうがない」と言う。反面、娘が風邪をひいて不調なときに「つらい」「痛い」と訴えると、母「嘘でしょう。」と突き放す。 ・実家へ戻って元旦那と別居状態になり、いままで通っていた保育園は距離的に通えないので辞めて、新たに別な保育園を申し込むことになった。その間、どこへも通えない「宙ぶらりん」の期間が発生したため 母「また保育園に行くようになったら、そんなことでは困るわよ。どうするの?」と、毎日のように娘を責める。娘と押し問答しているうちに娘の口から「辞めればいい」との発言が飛び出す。母は憤り、こういう発言をさせたのは母親(私)の責任だ!と嘆く。 ・娘「(何か怖いことか辛いことがあって)泣いちゃったの」→母「泣かないで下さい!」と、強い調子で言われ、傷つく。 この「敬語」は兄が母に対して常用しており、「お母様」「です、ます」「そうですね」が通常会話になっています。相づちも「うん、うん」ではなく「はい、はい」とうっています。なぜ実の親に完全敬語で話すのかは分かりません。 で、母も孫に「〜ですか?」「〜してください!」と強い調子で話すことが多く、私が「敬語はやめて、もう少し柔らかく話せない?」と、提案したら「大人のように扱っていた。」んだそうです。 ・新たに申し込んだ保育園に市役所の担当者から「定員に空きはないけど娘さんにおすすめ。」な所を提案され、そこは一昔前は梨畑しかなかったような郊外で、通うとしたら近くに引っ越ししなければならないような場所でした。でも見学したら娘も気に入ったので、そこを第一希望にしました。 すると、即、「その近くに部屋を借りろ。敷金礼金含め家賃はすべて面倒みてやる。」と言われました。しかし、その保育園に確実に入れるという保証もないのに先回りして部屋を借りるというのは何か違うような気がして、「3月18日になったら入所可か否かが分かるから、それまで待ってほしい」と言いました。それが3月のはじめ。 結果、18日まで待つことができず、私と娘が家を追い出されたのが3月6日です。 第一希望の所は「やはり定員に空きがない」との理由で不承諾になりました。早まって部屋を借りたりしないで本当によかったと思いました。 お金のことは「なくなったら言いなさい。出してあげるから。」と口だけ言ってましたが、ハナから出す気がないのはこちらも分かっていました。 が、「もし離婚したら孫のためにも援助するから。」という言葉を一時的にでも鵜呑みにしたことを反省しています。いま考えると母に大金を出させるようなことがなくて幸いでした。 ・第二希望の保育園を見学にいった日の帰宅後、母「パンフレットみせて」。しかし、事務所でパンフレットをみせてもらって簡単なお話を伺い、教室に見学いっている間にそのパンフレットは保育園の方で片付けたようなのです。そのことを母に伝えると烈火のごとく怒りました。「パンフレットを片付けられたとは何事だ!馬鹿野郎!」みたいな感じです。その保育園は昔からある伝統のある所だったので「定員オーバーなのかな?」と私は思いましたが、事実、その通りで入所不承諾になりました。
・二月の二度の大雪のときも私が「雪かきを手伝う」といっても「自分のやり方があるから乱されると困る。」と拒否し、すごい形相で雪かきをしていました。 小名浜で無理心中した九十四歳の老母さんが雨の日に「汚れた水が流れる」と息子さんの静止も聞かずすごい形相でずぶ濡れになりながら掃除していたとの記述に実母と被る場面が多かったです。
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