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テーマ:幸せの法則について(434)
カテゴリ:昔の体験でしあわせ
10年以上仲のよい一番の友達が結婚することに!!めでたい。バリで挙式を行なうので、連日のように「このホテルどう思う?」なんて相談に乗っていたのですが、仲のいい子だとこっちまで気合いが入ります(笑)楽しいです。
ところで、その子の家にはしょっちゅう泊まりに行ってたので、友達の両親とも自然に仲良くなったんですね。今でもたまに行くと、おばさんもおじさんも 「体調はどうなの」と心配し 「仕事は何してるのか」と尋ね 「栄養つけなさい!」とおばさんが畑で作った野菜を使って、たらふくごはんを食べさせてくれます。親がたくさんいる感覚です(笑) で。これは私にとって自然なことなんですけど、友達の親とも仲良いぞ、という話ってあんまり聞かないですよね。 でも。昔ってそんな“近所の目”はいっぱいあったはず。 うちの父親は下町に住んでいたのですが、下町特有だったのか、相当地域密着っぽい感じで過ごしていたようです。 父は、裕福と貧乏の両極端を経験しており、生まれてしばらくはお手伝いさんが子守や家事をするような家で育ったのに、事業等の事情により、ある日突然長屋暮らしになります。 でも長屋暮らしの方が、父にとっては何百倍も楽しかった!らしく、長屋話はよくしてくれました。近所の人が、毎夕といっていいほど、煮物だなんだとごはんを作ると持ってきてくれて…っていうのも楽しかったらしいのです。私のイメージでは、玄関のカギなんてついてるはずもなく、誰もが入ったり出たりできる……という感じ。想像するだけでうらやましい。 今は“うざい”の代名詞にもなってしまう近所の目。近所の目というと「悪いウワサをされる」とか「監視される」とか悪いニュアンスが強いですが、一方で、心配してくれる人がいたり、例えば反抗期に親なんてなにさ!って思ったとき、ちょっとした逃げ場になったり、いい面もホントはいっぱいあるんですよね。 でもそんなこと言ってたらなまぬるいご時世。 どんどんセキュリティが強化され、いつ誰かが侵入するかわからないからと防犯対策も叫ばれています。でも私はそんな話を聞くほどつまんない世の中になったなと思ってしまう。 以前、米国のビバリーヒルズ一帯の防犯対策がどんどん“過激”になっているというテレビを見ましたが、ほとんど要塞でした。家を覆うように頑丈な鉄の塀で一面囲まれてました。そんな家、誰が行きたいと思うだろう。気軽に扉を開けて、こんにちはって言えば「おー久しぶりだねー」って迎えてくれる。こちらのがずっと健全に思う。 ま、そんなこと言ってられない世の中ですけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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