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テーマ:ニュース(99892)
カテゴリ:日々の生活でしあわせ
以下のURLをクリックして、上部の親子のバナー広告部分にマウスのカーソルを当ててみてください。
AC(公共広告機構)の広告です。 広告として見た場合、非常に秀逸だと思いました。 虐待は周囲は気づきにくい。というのを最大限に表した意味でうまいなと。 ただし、「注意を向ければ発見できる」という一文には少々疑問です。 数年前、住んでいたアパートの1階には親子が住んでたのですが、母親が子供を怒鳴る声がよく聞こえてきました。 それが、怒鳴る…を越えて発狂に近い感じ。 怒った時の母親のヒステリックぶりというのが、私の考える「常識」を逸脱していて、 「×●@@@@ギャー!!」といった感じで、怒ってる内容が聞き取れないほど。耳を覆うほどすさまじいものでした。 「怪しい」と思って児童相談所などに通報しておこうか、すっごい考えていろんな人に相談した時期もあったんですけど、結局できなかったんですよね。 単純に怒ってるだけか、もしくは危害まで加えてるのか。 その判断がすごい難しかったからです。 よくテレビでも「虐待かなと思ったら通報しましょう」とアナウンスをしていますが、実際、「そうかもしれない」という場面に遭遇すると、「本当に虐待か否か」その判断は相当悩み、安易には通報できない経験をした方もいるんじゃないかと思います。 現場が見えないからです。決定打を確認できないからなんですね。 “勘違い”の可能性もかなりあるため、安易に通報できないんです。 わたしの場合、たまーにその親子にすれ違うと、仲よさそうに見えてしまい、ごくごくフツーの家庭に見えるときもあったんで、余計わからなかった。 が。 一度子供だけに会ったとき、その子の目が、魚が死んだような絶望感のある目をしていて「ハッ」としたんですよね。 でもそれにしたって、「魚が死んだような目」というのも私の主観の域を出ないわけで…。しかもこっちは、「虐待されてるかも…」という気持ちでその子を見ているので余計に「魚が死んだような目」に感じただけかもしれないのです。 “決定打”は結局ないまま、真相はわかりませんでした。 第三者が判断する難しさというのを強烈に感じた出来事でした。 セキュリティモールさんの日記にもACの広告について書いてあるので参考に 少し話はズレますが…。 表面上、笑顔で楽しそうで…って振舞う人のなかには、すんごいドス黒い感情を持ってる…ってことはよくありますね(みんなそんな面はあるか)。 なんでも言うことを聞く人、気配りができてソツのない人。 でもそういう人が=いい人、やさしい人に直結するとは思えません。 わたしが信用するいい人は、いつもいい顔ばかりする人ではなく、落ち込んだりイライラしたり、ときにこっちがムカっとすることがある人。そのぐらいの方がよほど人間らしいので安心します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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