人懐こい子だったそうですね…
◎数十発殴り、息あるまま放置=美香容疑者、犯行の状況詳述 ~秋田保育園児殺害~ (時事通信社 - 11月16日 22:10) 秋田県大仙市の保育園児進藤諒介ちゃん(4)が殺害された事件で、逮捕された母美香容疑者(31)が、接見した弁護士に対し、「数十発殴った」「息があるのを分かっていて(農業用水路に)放置した」などと、犯行当時の状況を詳細に話していることが16日、分かった。 私が始めて教壇に立ったのは、平成5年の1月。産休代替教員として採用された小樽市の中学校でした。あの頃中3だった生徒は、今ではもう28歳。親になっている者も少なくはないでしょう。 親になる。子どもが生まれれば自動的に親になるわけですが、最近のニュースを見るにつけ、親になるに足るだけの成長を遂げぬまま、親になってしまった人間と、そのような人間が引き起こした悲劇に、怒りを覚えずにはいられません。秋田の事件では、息のあるまま、実の母親とその交際相手の男に殴られながら、亡くなった男の子はどんなことを思っていたのだろうと思うと、あまりにも不憫で、泣けてしまいます。 ある年、受け持ちの学年の中に、母親から虐待を受けていた女生徒がいました。とても明るく人懐こい子でした。自分を受け入れてくれる大人には、心をとてもオープンにする子でした。人間は誰でも愛されたいもの。身近な大人からどんなにつらい仕打ちを受けても、愛されたいという本能が、その生徒を明るく人懐こくさせていたのかもしれません。その生徒の担任は、生徒が目の周りにアザを作ってきた時に、相談室で本人から虐待の話を聞いて、号泣しました。そして、学校全体、町の民生委員、みんなで彼女を守っていくような流れになっていきました。幸い彼女の母親は学年PTAの役員だったので、同じ役員仲間の母親たちや教職員と話をする機会を多く設けるようにしました。そして、母親の虐待は徐々に減っていきました。きっと、母親もいろいろな面で自信がなかったのだと思います。しかし、母親仲間と話をする中で、不安が解消されていき、子どもに手を上げることもなくなっていったのだと思います。秋田の事件では、亡くなった子を守る手立てはなかったのでしょうか。その子が通っていた保育園(でしたっけ?)や児童相談所が連携を密にとるなどして、まず未熟な母親を育てていく…というような方法はとれなかったのでしょうか。一度起こった虐待はなかなか完全に解消されることはないと思います。この家族が現住所に引っ越した後も、引き継ぎを受けた児童相談所が、継続して注意深くこの家庭を見守っていたとしたら、ひょっとしたらこんな悲しい結末は招くこともなかったのでは…そう思えてなりません。 亡くなった男の子に、モーツァルトの「アヴェヴェルムコルプス」を捧げます。 Ave, ave,verm corps. natum de Maria virgine, Vere passum, immolatum in cruce pro homine; Cujus latus perforatum unda fluxit et sanguine, Esto nobis praegustatum in mortis examine, in mortis examine. めでたし、おとめマリアより生まれし真の御体、 人のため、十字架上にてまことに苦しみを受け、犠牲となり給えり。 御脇腹を刺し貫かれ、水と血を流し給えり。 臨終の悶えに先立ちて、我らの糧となり給え。 これは、モーツァルトの晩年(1791年)に書かれた曲です。生まれてから受難に至るまでのイエス・キリストが、この短い曲の中に音楽的にも凝縮して表現されています。華やかではありませんが、滋味深い、心に染みるような曲で、静かな前奏の後に聴こえてくる合唱は、まるで天界の調べのようです。亡くなった男の子が、迷うことなく天国に導かれ、苦しみも悩みもなく安らかに過ごしてくれることを祈りつつ。