「助け神」
「助け神」 2273字 “医者嫌い”という言葉に負けた日であった。身体がしんどうてたまらなかった。それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で、医者に行った。即刻、高血圧、痛風、関節炎、心臓肥大で強制入院させられた。血圧222、両膝と両くるぶしが像の足のように腫れて、歩くのがやっとだった。58歳だった。「働いたらだめ、身体障害者」と宣告された。もう仕事ができないのである。収入なしで、どないして、嫁はんと生活していけるか、目の前が真っ黒になり、もうこれで人生は終わりかとも思った。 「辛いのう、難儀やのう」。憂鬱な毎日だった病院から出てからは、ベッドの上で、毎日本を読んでいたが、読んでもなかなか頭に入いらん。読む字を眺めるのは嫌なことである。ある日、へたくそな文章の本を見つけた。ベストセラーと書いてある。それを見たら,大工の私にも文章が書けるんじゃないかなあと、希望が沸いてきた。喜界島から大阪、パラグアイ、アメリカを50以上の数え切れない数の職業を変えながら放浪した私の人生を日記みたいに書く稽古をしだした。そんな時に、文章力を試すチャンスが来た。サンフランシスコの日米タイムスに、新年文芸コンクールのエッセイの募集を見つけた。投稿してみた。何と、初めて書いて、初めて投稿したエッセイが入賞してしまった。奇跡が起きた。とたんに,体の調子も良くなった。 「エッセイを勉強して放浪記を書こう」と決めた。必死にエッセイの書き方の勉強をした。いつも頭の中は「どうしたら上手なエッセイが書けるか」、でいっぱいだった。 あることを成し遂げようと必死に頑張っている時は、それを助ける偶然が起きると聞いてはいたが。その偶然が、ほんとに起きた。ロサンジェルスで発行されている小雑誌に「文章の添削指導を行います」の広告を見つけた。見つけたというより、私が探していたものが飛び込んできたみたいだ。 助け神の到来や。 すぐにエッセイを書いてファックスした。数日して、添削されたエッセイが送られて来た。見て,がっかり、ショックだった。訂正だらけや。「これだけいろいろな事を書いて、題名をつけるとしたら、何とつけるか」、「大阪弁で書いたらいかん」。大阪弁のところはペケペケしてある。ペケペケだらけや。 腹がたった。私は負けん気が強い男や。人に負けてなるかい。そんな時には,必ず、もと働いていた電通の鬼十則「取り組んだら放すな、死んでも放すな、殺されても放すな、目的完遂までは......」,と言う言葉が頭の中で暴れまわり、思わず歯ぎしりする。またやる気が出てくる。 最後のところに、「起承転結、私はラバさん、酋長の娘、色は黒いが、南洋じゃ美人、を頭に入れながら書くこと」と書いてあった。 アメリカで26年も大工をしているこのフリムン徳さんが”建築”という言葉は知っていても“起承転結”と言う言葉なんか知るかいな。. ニューボキャボリー(新しい言葉)だった。それからは,“起承転結”を頭に入れながら, 書いては, ファックスして添削してもらっていた。 ある時、 助け神が、 「手書きは大変だろう、 使ってない日本語のワープロがあるから、あげる」というではないか。まだ顔も見てない人のに、親切な人や、 肝っ玉の大きい人や,、ほんまの助け神や。タイプライターもろくに打てない, この大工は手引き書と首っきりで頑張った。 そしたら3日で打てるようになった。 努力や、頑張りや、辛抱や。家を建てれる大工はワープロも打てると自慢した。 去年の12月までに1年足らずで, エッセイを75編ほど書いた。 今年の正月、 その中から8編を選んで、アメリカの日本語新聞社に2編ずつ投稿した。 何と同時に4社の新聞に5編も入賞した。 また奇跡が起きた。 助け神のお蔭や。 どないしてお礼をしようと、 考えていたら、 また、 助け神から電話が入った.。 200ドルの中古のコンピューターを見つけてくれたという。 今度は,、「サルにもわかるコンピューター」の本を知り合いに貸してもらって、画面を見つめ、 歯を食いしばって、頭を振りながら、コンピューターと戦った。 1ヶ月と少しで,、ワードとインターネットが出来るようになった.。 でもインターネットの新しいメッセージの送信がどうしても出来なかった。 沢山の人に聞いた。 だめだった。 とうとう最後に、助け神に電話をした。 コンピューターを私と同じ画面にしてくれて、電話で説明しながら教えてくれた。 とうとう出来たがな。 ほんまに親切や。 こんな人は少ない。 やはり、最後も助け神が助けてくれた。 おおきに、おおきに、 助け神様.。 今度はインターネットで日本の産経新聞に投稿したら、フロントページの夕焼けエッセイに2回も載せてくれた。 こんな嬉しいことがあるかいな。. そうして喜んでいると, 東京の文芸社が私のエッセイを是非本にしたいと、合格通知みたいな、 表彰状みたいな手紙が来た。 そして、とうとう10月の15日に、私の本が日本全国の本屋で発売されることになった. もし、助け神に巡り合わないで, 手書きでエッセイを書いていたら、死ぬまで本が書けるかわからなかった。 エッセイが入賞するようになったのも、本が出せるようになったのも、助け神のお陰だ。 私は助け神の親切と恩を一生忘れない。 フリムン徳さんここで宣戦させてください。「フリムン徳さんの波瀾万丈記」(文芸社)に、皆さんの清き御一票をお願い致します。