テーマ:映画館で観た映画(8560)
カテゴリ:日本映画
放蕩を繰り返す夫にひたすら献身的につくす妻。という感じの宣伝だったのですけどね。でも、私は見てみて、ちょっとちがうかなぁと、思いました。とにかく夫も、妻もどちらもよくもてる。放蕩三昧の大谷も、その妻のサチも、どちらも、周りから見ると魅力的らしいのです。 小説家大谷は、汚れるのをいとわない男。そして、人は生きていく限り汚れてしまうものだと、覚悟している男。その汚れていく自分自身を徹底的に見つめて、文学にまでできることのできる人間は、でも、めったにいない。 大谷とは、逆に司法家を目指して、そのために自分が汚れるのを恐れた辻は、かつてサチが好きだった男。彼のために盗みまでしたサチをみすてて逃げ出して、汚れることから逃げたはずの彼も、出世のために汚れきった銀行家の娘を妻にしようとしている自分の中の欺瞞と汚さにきずいてしまう。人はいきている限り汚れざるをえなくて、どんな人間にもかならずどこかで、ウソや、欺瞞や、ズルやそんな汚さをあびながら、生きていくしかない。そうきずいた時、辻は、ただ自分の本音に向かい合う。人妻だけれど、惹かれているサチに、大谷の裁判の代償を要求する。 辻を惚れた心のままに行動した結果、泥棒してしまったサチを、交番で見かけた大谷は、強引にサチを救い出す。彼女の美貌は、物語の中であう全ての男を魅了する。そして、そのサチに一番魅了されたのが大谷で、サチが浮気しているかもしれないと思ったとたんに尾行までするほど。 放蕩をして妻を泣かせているようにみえる大谷だけど、本当に好きなのはやはりサチなのだろうか。 通りがかった交番の中で、惚れた男のために盗みまでしてしまう純粋で美しいサチに一瞬で魅了され、惚れたのではないのだろうか。 自分が汚れるのもいとわないほどに。 そして辻もまた、汚れることで初めてサチと体を重ねることができる。 サチは、大谷と、辻と、いったいどちらが好きなんだろう。交番から助け出されたことをきっかけに大谷の妻となったけれど、本当は初恋の相手の辻を今でも好きなのだとしたら、夫の心中事件の弁護を頼むことをきっかけに、夫のためという名目をもって、本来一番好きだった辻と、一度だけ関係を持つことができた。サチの行為は、夫のためではなく、それをきっかけとした、本音の実現だったかもしれない。 辻を好きだったサチを妻にした大谷は、サチに惚れていながら、妻の心が本当は別のところにあるのかもしれないと、ずっとそんな不安を抱え続けている。 その心の不安が浮気であり、心中あり、放蕩であり、そして、彼は自分の中の汚さをずっとずっと見続けている。 自分の中の汚さにタップリと浸る夫に、好きな男と寝た自分の心の奥底の本音を見つめている妻は、言う。 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」 いいじゃない。私たち汚いまま生きていきましょうよ。 人は汚れずにいきていくことなんかできないんだから。 松たかこさん。ほんとーにきれいですね。もともお嬢様キャラなのに、貧乏人の役が多いのはなんでなんでしょうねえ。 でもって、太宰治、いいですねえ。読みたくなりました。昔、「人間失格」呼んだことがあるのに、その内容をまったく覚えていないのですよね。若い頃は文学なんてぜんぜんわかんなかったのに、どうしてあんなに無理して本読んでいたのかなぁ。 昔友達に誘われて桜桃忌に、三鷹の太宰の御墓に行ったことがありますが、太宰自体はぜんぜんわかっていませでした。今でも、人気のある作家のひとりですが、近代文学ってすごいって、最近やっとわかってきたかも。情けない。 いやいやそれだけ幸せにいきてこれたってことなんでしょうね。 ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~@映画生活 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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