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テーマ:たわごと(26875)
カテゴリ:美容・健康
やらなきゃいけないことたくさんあるときって、半パニック状態になってしまいます。ああ、どうしよう、もうだめ。そういうときは、とりあえず寝てしまいます。いったん、全部放棄。そうすると、ちょっとすっきり。覚悟も決まって、本当にやらなきゃいけないことから順番に、冷静に取り組めます。
昔から、逃避癖があって、試験の前に部屋の片付けを始めてしまったり、片付けようとしたマンガを最初から全部読み返してしまったり…。そういうタイプです。 いやいや、そういうことではなかった…。今日は“なにもしない”をする。という話をしたかったのです。 「なにもしない」って意外と難しいです。私は落ち着きがないというのとは違うのだけど、暇にしてる時間がもったいないと思ってしまうタイプで、ぼーっとしてるとなんだかその時間が無駄のような気がして、とにかく何かしていたいと思ってしまいます。例えば、編み物をしながらビデオを見るとか、お風呂の中で本を読むとか…。しかし、病気をしてから体力がなくなって、そうしたいと思ってもできなくなり、逆に、のんびりマイペースな生活を満喫しております。 でも、マイペースな生活を満喫するまでには、思考の大転換が必要でした。体力が追いつかず、やりたいことができないというのはある意味すごいストレスです。やりたい気持ちばかりが募って、行動が伴わない。理想と現実のギャップが大きいと人は精神的に辛いものです。こういうときに鬱になるんだなぁと思いました。 そこで、よーく、よーく考えて、気づきました。理想と現実のギャップを狭めればいいのです。病気であるという現実は変えられない。これは仕方ない。それなら理想のほうを現実に近づけよう。やりたいことを、自分のできる範囲のことにすればいい。あるがままを受け入れるというのはこういうことなのかもしれません。別に、そんなに崇高な理想を掲げずとも人は生きていけるのです。崇高な理想は、それができるようになったとき(病気が治ったとき)にまた思い出せばいいわけで、とりあえずは身近なことに楽しみを見いだそうと思いました。 面白い本を読む。美味しいものを食べる。小太郎と散歩をする。四季の変化を楽しむ。元気になったときのために勉強する。でも無理はしない。できることはいっぱいありました。 なかでも、「“なにもしない”をする」というのは、私の中での大発見。なにしろ、入院中でもじっと寝てるのがもったいなくて読書したり、パズルしたり常になにかしていないと落ち着かなかったのです。何もしないことほど辛いことはありません。同室の人が、丸一日絶対安静で直立不動で仰向けで寝ていなければいけないときには、自分だったら耐えられないかも…と思いました。 鍼灸に通い始めてから「10時に寝る」という課題が出ました。夜って、いろんなことがはかどるので、ついつい夜更かししてパソコンしたり、ビーズ手芸したり、読書したりしてしまいます。それを全部我慢して寝なきゃいけない。最初、すごく難しいと思いました。 でも、自分の中の優先順位を考えてみたのです。読書・パソコン・ビーズ・テレビ・病気を治す。このなかで一番優先されるべきなのは病気を治すこと。そのために、その他の欲求は我慢しなきゃ。 人間というのは(というか私は)欲深いので、いろんな誘惑に負けてしまいます。だけど、本を読むのは今日じゃなくてもいいし、メールチェックなんて3日くらいしなくたって意外に平気だったりします。私がテレビを一週間くらい見なくたって世界が滅びたりはしないのです。そんなことはたいしたことではありません。そう言い聞かせます。そして実際そうなのです。 「なにもしない」は修行です。いろんな「したい」を我慢するのです。最初はうまくできません。だから「なにもしない」練習が必要です。とりあえず、「10時に寝る」ことから始めました。「10時に寝る」ために、いままで夜していたことを昼間にするようにしました。計画的にしないと10時に寝れません。でも、ちゃんとできると規則的な生活ができます。 「10時に寝る」を実践したら、なんだか体調もよくなった気がします。そして次のステップ。「休みの日」を作ります。スケジュール帳の、「予定がない日」は「空いている日」ではなくて、「休みの日」。そこには予定を入れてはいけません。その日は休むのです。家でなにかしたりするのはいいのですが、お出かけは疲れてしまいます。「出かけたい」を我慢します。これもけっこう大変。でも、修行だと思って我慢するのだ。休むことで病気を悪化させず、いい方向に向かわせるのです。 お坊さんとかの修行って、こういうことなんでしょうか。すべての欲を絶つ。悟りを開くのって大変ですね。 忙しい、忙しい。と言っている人は自分で忙しくしていることも多いです。うちの母がそうですが。よくよく聞いてみると、そんなに急いでやらなくてもいいことだったり、他の人に頼めばいいことだったり。家の掃除なんてちょっとくらい休んだって死にはしません。母がやらなければ私や父がやります。でも自分でやらないと気が済まないみたいです。母にも修行が必要です。でも本人が自覚しないと、いくら周りが言ったからって意味がないのでした。言うだけ無駄で、こちらのエネルギーを消費してストレスが溜まるだけなので、適当に言ってあとは適当に本人のしたいようにしてもらっています。 そうそう、他人に行動を変えさせるのって大変ですよね。かなりストレス溜まります。父にいくら言っても部屋の電気を消し忘れたり、母にいくら言っても夜更かししたり。ストレス溜めるだけ無駄なので、とりあえず本人に私からの希望(こうして欲しいということ)を伝えたら、あとは放っておきます。それで直らなければ仕方ないです。いくら言っても直らないものは直らないですから。そういうものだと思って、諦めます。あるがままを受け入れるとは、こういうことも言うのかもしれません。そうしているうちに、本人がふっと気づいて直ったりするのです。子育てもそうかも。 そういえば、私たちが何を言っても「肺ガンで死ぬからいい」とか言っていたヘビースモーカーの父が、実際に肺ガンで苦しんでいる人を間近で見て一念発起して禁煙したときにはびっくりしました。やればできるのです。もちろん、私たちが今まで散々「やめて欲しい」と言っていたことも影響していたと思います。だから、それは無駄ではなかったのですが、「やめて欲しいと言っているのにやめてくれない」という私たちのストレスは無駄でした。言うことは必要だけど、それによって行動を変えるかどうかは本人の問題なので、言った人がそれによってストレスを感じるのは無駄です。言いっぱなしで放っておけばいいのだ、と思います。 「笑う門には福来たる」 笑うと免疫力アップで病気も吹き飛び、周りの雰囲気も明るくなって一石二鳥。 「人の振り見て我が振り直せ」 携帯持ってなくても生活できるんだよね。テレビがなくても平気なんだよね。車がなくても困らないんだよね。ネットなんてなくても楽しく暮らせるんだよね。持ってない人を見て、そう思います。 「石の上にも三年」 ことを焦ってはいけません。じっくりのんびり続けていればいつか報われるときが来るのです。 「一攫千金」 チャンスのときにそれをものにできるかどうかは日頃の心構えが大切。常にシュミレーションを怠ってはいけないのだ。 「塵も積もれば山となる」 毎日の積み重ねが大事。小さなことからコツコツと。「一攫千金」と相反する気がするけど、コツコツやる人のほうがいざというときにチャンスをものにするだよね…と言った人がいて、なるほどなぁと思いました。 「果報は寝て待て」 病気治すためには「なにもしない」で体をゆっくり休めることも大事。じたばたしてもだめなときはだめ。心の余裕が幸せを運びます。 自分勝手に解釈している格言たち。ときどき思い出して確認して、マイペース、マイペース。ケセラセラ。ハクナマタタ。と唱えてみます。 冒頭に書いたような、半パニック状態のときほど、いろんなことを考えてしまいます。今もちょっとそれに近い状況。なので、いろいろ整理したくてつらつらと書いてみました。でもちょっと支離滅裂。全然整理できてないかも。自分で分かればいいのよ。公開版ひみつ日記ってことで(公開したらひみつじゃないじゃん)。 最近のテーマは「あるがままを受け入れる」かもしれません。いったん、現状を見つめて、それを受け入れた上でできることから始めることが大切。できないことはできない。無理なことは無理。変えられることから変えていけばいいのです。例えば、30代の私が20代になることは絶対にあり得ないのだから、若い子のことをいいな、いいなと言っていても仕方ない。素敵な40代になるためにどうしたらいいのかということを考えるほうが断然いい。うん。がんばるぞ。その前にとりあえず寝とこ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 20, 2006 05:04:43 PM
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