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テーマ:チワワな生活☆(3590)
カテゴリ:小太郎のからだ
イボ取り手術して禿げチョビンだったチワワの小太郎の右前足、やっと毛が生え揃ってきました。イボの形にまあるく傷跡があって、そこはツルッと禿げてますが、周りの毛が伸びてきたのでほとんど目立ちません。キレイに治ってよかったです。
最近、夫婦別姓についての記事をよく目にします。個人的には賛成でも反対でもなく、個々の事情もあるだろうから別姓するかどうか選べるように法制化するのはいいんじゃない? という感じ。 なんですが、とある記事のなかで、別姓にしたい理由として、いままで育ってきた環境でずっと使ってきた名前を結婚後に使えなくなることで自分を否定されたような気持ちになる、というようなことをおっしゃっている方がいて、なんとなく違和感を感じました。 短い記事の中の一部ですので、その方のおっしゃりたいことがすべて伝わっているかどうかは分かりませんが、私が感じた違和感はなんだろうと考えてみました。 結婚前の姓に愛着(よりも深い「思い」かもしれませんが)があるのは、その方のご家族がその名前を大切にしてきたからではないかと。その名前の元に、家族の結束を育んで、ご先祖を大切にする気持ちを持っていたんじゃないかな。 で、それはいいとして、結婚後に夫婦別姓を選んだ夫婦に子どもが産まれたとしたら、その子どもは両親の名字が違うわけで、「両親」と同じ姓にはならないことになります。家族の中で違う名字が混在して「名前」での一体感はなくなってしまいます。 別姓を選ぶ理由として名前への愛着を挙げるのに、自分の子どもはそれが得られないような状況になってしまう。 まぁ、ただ単に長年使ってきた名前を変えたくないというだけなのかもしれないですけども、名前への愛着が家族の一体感に起因しているものだとしたら、それを理由に別姓にするのはなにか矛盾しているような気がしてしまったのでした。 私の弟が生まれたときに、どんな名前がいいか聞かれて名字から新しい名前を考えて答えたら笑われたことがあります(当時4歳)。夫婦別姓が広く認知されれば、「家」という意識は薄れて、名字の意味がなくなってしまうかもしれません。そうなったら、子どもにも名字から新しい名前をつけられるようになってしまうかも。 家族がみんなで同じ姓を名乗るっていうことは、代々のご先祖様を敬うという意味もあるんじゃないかと、個人的には思っています。そこに自分のアイデンティティの根っこもあるわけで、自分のルーツがまったくわからないというのは、なんとも不安なものです。 よく、養子や精子提供で生まれた子どもが、今の家族にはなんの不満もないけれども、それでも自分の本当の親を知りたい、ルーツを知りたいと思うのは、自然な感情なのではないかなと思います。 いろんな考えの方があると思うので、別姓にしたい方はすればいいと思いますけども、自分はやはり家族は同じ姓のほうがいいなと思います。今はまだ社会の認知度も低いですしね。将来的にはわからないですが。 あと、逆に、同性で結婚したい方なんかは、きちんと法的に結婚して同じ姓になりたという方もいるんじゃないかな。多様な家族形態を認めるのなら、同性結婚も同時に議論していく必要があるのかもしれません。(もうされてるのかな) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jan 15, 2011 11:37:14 AM
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