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2008年 第41回道灌まつり
10月4日・5日 「神奈川県伊勢原市」 明日の日曜日は祭りのメインでもある太田道灌公鷹狩り行列と北条政子(源頼朝の妻)の日向薬師参詣行列が行われます。北条政子は日向薬師に2回法要に訪れたというだけで、この地とは特に深い縁はありません。 また、太田道灌(1432~1486)年と北条政子(1157~1225)年と、生きた時代が異なり、両者には直接関係ありません。少し誤解を招くかも知れませんね。 太田道灌は室町時代の武将で、父太田資清(道真)は上杉家の家宰で相模守護代を兼務していました。道灌は23歳で家督継承し扇谷上杉家の家宰になります。江戸城を築いたことでも有名ですが、川越城、岩槻城を築き、事実上、相模・武蔵の両国を支配するようにもなりました。一方で、道灌は父と同様に和歌や連歌を愛した文人でもありました。 文明8~4(1476年~82)年に影春の乱が起きます。これは関東管領・山内上杉家の内紛で、長尾影春が主家・山内上杉顕定(あさだ)に謀反を起こしたものです。道灌はこの謀反を鎮圧するために、4年間、関東各地を転戦し、30数回の戦に勝利しその武名を高めました。 この結果、道灌の著しい台頭、有能ぶりが仇となります。上杉家は山内と扇谷があり、関東管領職を代々担っていた山内の勢力がはるかに上回っていましたが、家宰の道真(父)、道灌の親子の力で、ついには扇谷家が山内をしのぐほどになります。これを恐れた山内上杉顕定の讒言(ざんげん)により、文明4(1486)年、主君・上杉定正によって粕屋館(伊勢原市)で謀殺されてしまいます。その後大田道灌を失った上杉家は弱体し、北条早雲によって攻められ滅亡していきます。上粕屋七五三引(ひめしき)に五霊神社という小さな社があり、明応3(1494年)北条早雲は、道灌の非業の死を悼み道灌の冑をここに納めたとされています。 道灌まつり1 posted by (C)sanpo 太田道灌墓前祭、洞昌院(上粕屋の胴塚)。この線香の煙は私が焼香したものです。 道灌まつり2 posted by (C)sanpo 太田道灌墓前祭、大慈寺(下粕屋の首塚) 道灌まつり3 posted by (C)sanpo 太田道灌といえば「七重八重花は咲けども山吹の“み”の一つだになきぞかなしき」・・と言う有名な逸話がありますが、これは後に作られた話とも言われています。 道灌の死を知り悲しんだ娘は、「道灌様は、花も実もある東武士」と歌っています。ん~出来過ぎのような気がします・・。 この花は10月4日撮影。この日のために咲いたのか? 山吹の花が二輪! 道灌まつり4 posted by (C)sanpo 江戸城を築城した人と言えば大田道灌。 当時の江戸城の復元図です。1400年代の城って、こんなもんでしょう。 道灌まつり5 posted by (C)sanpo 道灌公鷹狩り行列は、明日の日曜日に行われます。今日は色々なイベントが行われ、年々新しい趣向のまつりへと変わっていきます。 色々な町のまつりが混在。その例が「ISEHARAソーラン」色々な町からの人が参加し、一緒に楽しんでいます。 私はこれを『まじゃりんこ文化』と呼んでいます。地域の文化の活性化のためにも、これもいいのでは・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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