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座間市の大凧まつり
新戸地区の8間凧(実際は13メートル四方) 座間の大凧揚げは、江戸時代の文化・文政年間(1804~1830年)の頃に、男児の初節句をお祝いし、健康と勇ましい成長を願う「祝いの凧」として始まりました。当初は地域の名主(大農家)が江戸で流行っていた凧を取り寄せていたと言われています。 若者たちの数少ない娯楽の一つとして、凧作りと凧揚げが受け入れられ、庶民も経済力を持つようになった江戸時代の後半に、最盛期を迎えます。 江戸時代の後半には、既に「大凧」と呼ばれていたようですが、実際は大きくても、2間(3.6メートル)であり、各家で揚げていました。 しかし、時代が経つにつれて、「祝い凧」は大きくて高く上がったほうが縁起がいいということで、大きさと高さを競い合うようになりました。このようにして、次第に凧が大型化し、地区ごとの大きな行事になっていました。 現在の大きさ(13メートル四方)になったのは、明治の中頃と言われています。 さらに、平成13年にには、市制施行30周年と21世紀になったことを記念して、210畳敷の大凧(18.6メートル四方)を製作して掲揚しました。 これが凧揚げに成功したものとしては、日本一の大きさであることから、現在に置いても「座間大凧」が日本一として知られています。 この凧は、今回最大の凧は8間凧と言われていますが、実際は13メートル四方(102畳)で、重さは1トン。 竹と和紙でつくられているようで、骨組みは数か月前から現地で造り、和紙は、当日の朝に付けるようです。 (とは行っても糊付けではありません)結びつけているような感じ。 座間市には米軍厚木基地があり、会場上空を戦闘機が絶え間なく飛んでいて、なんとも言えない緊迫感を感じます。 ようやく待ちに待った風が! 鯉のぼりが水平になるほどの風です。 近くで見るとさすがに大きいですね~! 右に見える綱は、凧のしっぽで一本80メートの綱!? 風が強くなってきたので、3本に変更するとのアナウンス。 座間市の4地区が、相模原の河川敷で競い合います。 4地区の凧が、ようやくそろって揚がったようにみえます。 他の地区の凧の大きさは、6間半くらいから7間。 隣の地区との間隔は、3~400メートルくらいありそう。 今年の凧文字は『稀風』 一番大きいのはなぜか『輝』? 上がってしまうと、大きくても小さくてもわかりませんね。 順調に風にのっていたかのように思えた凧に、突然異変が!? 風が不安定になり凧がねじれ始めました。 あっという間に、落下です。 急いで修理です。 この大凧揚は、4日・5日の2日間行われます。 破損しても、その場ですぐに修理し、何度も揚げるので、2日目になると、痛々しい姿(ボロボロ)に・・。 河川敷が広いのと、揚げる環境が整うと危険なので安全な場所に移動させられるので大変。 いい運動です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.05.04 20:22:53
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