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2017 年12月26日の富士山
平塚市湘南平より 土曜日まで雪がすくなかった今年の富士ですが、ようやく富士らしくなってきました。 湘南平から見た富士山 湘南平から見た大山(おおやま) 富士山と大山のパノラマ 中央が富士山、右の山が大山で、右端が関東平野(江戸から見ると富士と大山が重なります)。 江戸時代から信仰の山として多くの江戸の庶民が訪れたと言う大山。 「全ての関東の道は大山につながる」と言われるほどの沢山の大山道が整備されました。 それらの道標は今も多く残っています。江戸時代、分かれ道があれば大山道の方向が記されたと言われています。 西方からは、矢倉沢往還道が使用されていたようです。 江戸時代以前から、古代の文化が大山の麓にはあったようで、沢山の遺跡が見つかっています(地形もよかったのでしょう)。 勾玉・石器・金細工を施した馬具などが古墳から出土。 そういった土地であったためか、新東名の工事が遅れている理由の一つにされています。 大山の麓に新しく作られる道路は、新東名高速の他に246バイパスする県道工事が同時進行しています。 その工事を拒んでいるのが、歴史という遺構のようです。 注)版画画像はネット登録画像をコピー使用です。 今年は、観光ボランティアガイド研修に参加したことで、地域の歴史や観光について学ぶことが出来ました。 大山道を実際に歩くことから始まり、多くの歴史遺産を見ることも出来ました。 大山が日本遺産に登録されたことにより、多くの観光パンフレットに浮世絵が登場しました。 大山が富士山の父で、富士山の神(コノハナノサクヤヒメ)が子供になります。 それとは関連ありませんが、富士三十六景「さがみがわ」の渡しの浮世絵 (現在も渡し場の記念碑あり) 本当にこう見えるのか、実際に海老名市に行って確認してきましたが、本当に見えました。 江戸時代一般庶民が富士に行くことは、関所を通行することになるためできませんでした。 この大山を富士に置き換え観たのではないでしょうか(個人的な感想)。 こうして信仰と観光の地として、当地が栄えることに。 この広大な歴史遺産を持つ大山は、世界的日本遺産と言ってもいいのではないでしょうか・・。 その一場面を年賀状に・・。 「うちのうら山」、大山です。 「うちのうら山」という言葉は、以前参加していたNPOの会長の「著書の中」の言葉。 年末になって喪中のハガキが送られてきました。とても残念です。 慎んでお悔やみ申し上げます。 他にも心配な、隣町のブロガー・・心配です。 そして東北の温泉ブロガーも震災以降、ぷっつりと・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.12.26 22:02:58
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