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11月24日
大山の紅葉と絵巻 11月24日 この日は紅葉見物ではなく大山の勉強会で、大山の縁起絵巻を見せていただくことになりました。 日本遺産でもある「大山詣り」は、大山阿夫利神社の歴史ではなく、今から1250年前に良弁によって開山された、大山寺の歴史そのものでもある。 明治の初期に神仏分離、廃仏毀釈によりそれまでの大山は、大山寺が主体であったが、神仏集合であった大山寺は廃寺寺となり、仏教に代わって神教の阿夫利神社が主体となる。 大山阿夫利神社の歴史は明治以降だから150年の歴史でしかない。 江戸期に多くの江戸庶民が信仰し訪れたた大山詣り「日本遺産」は、大山寺の歴史でもある。 その歴史を記す、絵巻を見せていただくことができました。 予定の時間まで紅葉見物。 大山寺本堂前から。この3連休は天候にもめぐまれ、多くの観光客で、賑わっています。 外国人観光客も年々増加しているように思います。それに色々な国から・・。 この紅葉画像は大山寺のもので、京都の神護寺から移植されたものと聞いています。 そろそろ予定の時間になったので、先導師旅館の「かげゆ」さんへ 上巻と下巻の2本 その長さにまず驚き! 文字を読むことは出来ないが、良弁が大山に来る由来を知ることができる。 悪く言えば、物語として創作されたものかもしれないが、当時の大山寺の繁栄を知ることができる。 良弁が生まれて間もなく鷲に襲われ行方不明になるが、あるところで発見され、両親が我が子か確認しているシーンを描いたもの。一場面の中にいくつものストリーが描かれている。 よく見ると着物の衣装の模様、髪の毛一本、一本に至るまで、繊細に描かれている。 今でも鮮やかな色彩は、岩絵の具を使用して描かれたものだからと説明されたような。 生まれて間もない良弁が鷲に連れ去られる。シーン。鷲が子供を捕まえて飛び立つシーン。 そして鷲は、良弁を松の木の上に置き去る。その良弁をサルが松の木からおろし助けた場面。 もちろんそんなことはありえないとは思うが・・。すごいストーリー。 長い、長い絵巻。所々虫に食われた跡が・・とまぁ我々素人はそんなところばかりに目が行く。 今回、見せていただくまでには、長い交渉があったようだ。 見せると言ってもそう簡単に広げられる物ではないことも理解できた。 私が一番気になったのは、廃仏毀釈が行われる以前の大山が、どんなものであったかだ・・。 今は、大山の中腹に大山阿夫利神社と頂上に奥の院。本社があるが、これにはそんなもは描かれていない。男坂には仁王門もあった。 現在阿夫利神社が建っているところに、大山寺があった。 現在は、大山阿夫利神社が!大山寺にとって代わる。大山寺は、下の隅に追いやられる。 大山寺は、徳川家も、源頼朝も信仰したところで、阿夫利神社ではない。 戦力という意味もあったのだろう。 多くの観光客はそんなことはどうでもいいのだろう。 歴史に興味を持つ人はほんの一握り、何を願うのだろうか? 普段は登山客がほとんどだが、この季節ばかりは紅葉目当ての観光客がどっと押し寄せる。 時々、観光ガイドってなんだと思うことがもある。 歴史ばかり押し付けても・・。 そういう意味でも今回絵巻を見て、大山がどのように変遷してきたのかが分かっただけでもよかったとおもう。 大山は大山寺の歴史そのものであり、1250年の歴史持つ。阿夫利神社はあと千年か・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.11.26 11:11:56
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