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2月13日 18年度第後の歴史研修会が行われました。
講師をしていただいたのは、現在も先導師旅館を営む 〇〇さん 心に残る言葉、神道は「来るものは拒まず 去る者は追わない」 先導師は、大山土産をもって江戸の大山講の信者の家を周って歩いたことが、大山信仰にも大きく寄与したと思えます。 いまで言う旅行社の始まりかも。 徳川家康は、大山寺の力を恐れ、今でいういう僧や神官のリストラをの要をはかる。 それに困った僧や神官は、御師(おし)として、旅館を営むと同時に、寺社の恪を持つため僧や神官は、自分の旅館の中に神や仏を祀り、講(檀家)を集めるために江戸まで出かけ布教して歩いた。 同一の信仰を持つ人を集め大山講を作り、講の信者を大山に案内した。これがのちに先導師と言われる。 2017年、46の先導師旅館があったが、現在は42と減ったが、日本最大数。 明治以前は、大山寺が勢力を持つ信仰の山であったが、明治以降は廃物希釈により大山寺は取り壊されて大山阿夫利神社が大山寺にとって変わる。 その後、権田直介(?))という方が、大山寺の再建に尽力する。 今思えば、随分無駄なことをしたなぁ~! 大山名物は豆腐料理と言われるが、そもそもこの地域の土地で豆は楚立たない。 先導師が江戸の講(檀家)を毎年廻り、その時の初穂料としていただいた大豆や米などをいただくが、大豆は売ることができず、簡単にお金に換えることができませんでした。 だが、大豆は米と違い長く保存がきくため、持ちかえり保存することができました。 当時は豆腐料理と行っても、しばらくは冷ややっこなどで出される単純なものだったようですが、もともと門前町で精進料理の調理技術があり、現在の豆腐料理に発展したと言われています。 また、江戸時代大山の登るとき、水代わりに豆腐を食べながら歩いたそうです。 他にもいろいな裏話も聞けて、動画で撮っておけばよかったと・・。もっとたくさんお聞かせいただいたのですが、すっかり右から左へ・・(スマホで録音することも失敗)。 3月16日、17日は大山豆腐まつり 今年は、スタッフとして参加参加させていただきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.02.15 23:38:39
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