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カテゴリ:ウォーキング
6月の日向薬師ウォーク
石雲寺 日本遺産(大山詣り)構成の1つ 石雲寺には伊勢総瑞(北条早雲)の4男で北条氏の長老的存在であった北条玄庵が1,543年に私印である「静意」印を押して発給した印判状が残されています。 山号は大山寺と同じ「雨降山」 大友皇子の墓 石塔そのものは鎌倉時代末から南北朝時代の初め(十四世紀前半)に造られたものとKんが得られます。 この石塔は、日向御所入り口渡った日向川の右岸にありましたが、現在は石雲寺に移され管理されています。 この石塔は、伝承の大友皇子とは時代的に隔たりがあり直接的な関係を論じることはDきませんが、当地域の中世にこうした貴重な層塔を建立できた有力な人物や集団の存在の証を示す重要資料です。 大友皇子の石塔があった場所には、現在レプリカの石塔が置かれています。 石雲寺をしばらくくだると、浄発願寺が見えてきます。 1942年に現在地に再建 江戸浅草の発願で鋳造された延命子安地蔵菩薩坐像 浄発願寺奥の院参道の階段 無常山浄発願寺と称し天台宗弾禅誓派の総本山で、木食弾誓上人が1,608年に開山 1,938年の9月の台風で起きた山津波により堂宇が流出。今その跡地を奥の院呼ぶが、明治時代まで犯罪者(殺人、放火、重罪人を除く)をかくまって、まともな人間に改悛させる「駆け込み寺」の性格を持つ寺であった。 上記画像の階段は五十三人の罪人が一人一段作ったとされる石段が残る。 ここよりさらに登ると弾誓上人が昼夜不断の念仏を修した岩窟がある。岩窟内には上人の像を中心として、徳川、藤堂、佐竹などの諸大名の供養塔がある。 だが、ここで思わぬ敵に遭遇し、岩窟まで登るのは諦める。 思わぬ敵とは、ママビルである。 まるで、外来者を拒むかのような、ヤマビルの大群においやられる。 一人平均6~7匹 お互いにみはりながら、山を下り、靴や靴下の中を点検。 恐ろしい数のヤマビルです。 木の葉が積もる中からどんどん湧き出す。入り口に備えられた塩では全く効きめなし。 吸血される前なら、手でつかみ取ったほうが早い。ここに立ちいるのは冬の季節がいい。 棒より、手でつまんで払ったほうが早い。 台風でバラバラに損傷したまま放置されていた仏像を苦心の末組み立てた所、見事な「出山釈迦文仏」として蘇った。感銘を受けた住職は、三重の塔を建て安置する」それ以来行者姿でほら貝をふきながら篤志家からの浄財を求め托鉢を始め苦労のすえ2,000年に建物の落慶を迎える。 手前の僧は塚越慈徳住職の像か? 木食弾誓上人の像か? 木の実や野草だけを食べて修行。究極のダイエット。 一通り下見を終えバス停に戻ると、ハイキングのグループの方々がいて何事もなかったようにお土産を買ってバス停に並ぶ、どの方からかわからないが、血を吸ってまるまると太った、ヤマビルが下にポロリと落ちる。ヤマビルを初めての見たらしいが、誰が吸われらたのか実感はないらしい。 実に幸せですね。 今度予定するのウォークでは、奥の院への入山はやめ入り口まで・・ この季節ヤマビルは、奥の院だけではない。何処の山に行っても山ビルだらけ、パニックを起こさないように要注意ですね。 ヤマビルについて知る (秦野市) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.06.14 17:26:21
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