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桜の見頃には間に間に合いませんでした。そろそろ散り始めのようです。 コロナでしばらく観光も活気がありませんでしたが、外国人の姿も多く見受けられ、ようやくコロナ以前状態に戻りつつあるように感じました。 現在に残された関東大震災の傷跡。現在の本丸の石垣の一部が関東大震災にて崩れた石垣です。 これは石垣の角にあたる部分が崩れたものですが、かろうじて原型の姿をとどめています。 これが、崩れる前の石垣の復元図です。 角の部分に、長い石が2本づつ交互に積み重ねられていることがわかります。 右から見ても、左面から見ても1段ずれますが、同じ形になります。 二宮尊徳神社 二宮金次郎のブロンズ像 二宮金次郎というと、たいていの小学校の校庭に銅像がありましたので、殆どの日本人なら知っていると思います。そして戦前、全国で1000体のブロンズ像(銅像)が造られたのですが、戦時中すべての像を供出に遇い、この1体だけが現存。 金次郎の腰掛石(矢佐芝)これが本来の金次郎の姿 金次郎は、山で芝刈りに行き歩く時間も惜しみ、歩きながら本を読んだそうだ。いやいや・・現代では、みんな歩きながらスマホ見ているぞ(笑) 戦前、金次郎の物語を国威発情のために、こんな姿にして利用したのだろう。 金次郎は裕福な家に生まれたが、14歳の時父が亡くなり、そして16歳の時母までなくなると生活が一変。金次郎は叔父の家に預けられるのだが、悪い叔父で金次郎を休みなく扱き使った。金次郎が自分の時間を持てるのは、叔父の干渉を受けない芝刈りに出かける時が、金次郎にとって一息つける唯一の時間だった。 いづれにせよ金次郎は勤勉で、小田原藩の藩士の財政を立て直したのを始めに、生涯615の村々の立て直しをおこなった。偉大な人であることには間違いない。 八幡山東古郭から(小田原城の裏側) 現在ある小田原城の本丸は、江戸時代に入ってから新たに築城されたもので、北条5代の時代の城の本丸は八幡山古郭にあったとされる(現在より山側の高い場所)。 北条時代の遺構は、総延長9Kmと言われる総構えです。北条独特の障子掘りの遺構は、山中城城址公園で見ることが出来ます。 現在の城は、難航不落の城どころか何度も焼失し再建しているようです。 馬出門 銅門(あかがねもん) 常盤門前の石段 人が多いです。 常盤門 天守閣 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.08 21:03:00
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