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カテゴリ:留学以外の中国関係の思い出
私は日本人だけど
『私の1997』(AiJing)のような 香港返還を待ち焦がれる中国人の女の子の気持ちを (歌詞にある日系スーパーのイメージなど若干の違和感は除く) かつては涙が出るくらい共感できた。 留学生をやる前(1980年代後半) すでに日本の繁華街には 若い子向けの「中国雑貨」の店(大○とか)があって、 made in Chinaの いかにも中国イメージの色彩や材質の雑貨が 並んでいた。 しかし90年代のはじめでも、実際の中国で そんなしっかりした物は どこにも見当たらなかった。 留学生仲間と 「中国って、いったいどこの中国のことよ!」 と、陰口をたたいたこともあったぐらいだ。 雑貨が中国で製造されているのは 間違いないだろうが、 そういう物が存在した(売られていた)のは 香港だけだった。 それだけ 中国と香港は全然違っていた。 だから、 香港が中国に返還されどうなるかは 楽しみでもあり心配な気もした。 返還後50年間は特別行政区でも その後はまったく同じ扱いになると聞いて じゃ、さらに10年たったらどうなってるかこの目で見に行こう! それで2057年に香港に行こうと思った。 今や大陸も発展し 当時の私の心配は笑い話にもならないが、 2057年香港旅行の目標はそのままにしてある。 何となくがんばる気になれるから。 (生きているかどうか分からないけど) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月01日 07時02分00秒
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