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カテゴリ:留学以外の中国関係の思い出
瀋陽の空港は、
もしかしたらずっと前からそのまま?な年季の入った感じで、 暗いのは夕方に到着したからだけでない? 戦争中にタイムスリップでもしたかのような雰囲気の場所でした。 入国は団体ビザに従って(ビザ用紙に記入された順番で) 並んで…はいつもの団体入国と変わりありませんが、 何だか係の人たちが物々しい感じがしたのは、 団体が大人数のせいなのか? 場所の雰囲気のせいなのか? それとも日本で出発した空港と同様、この便のための職員動員で 気合を入れて審査に取りかかっている? でも何事もなく通過し、 先方受け入れ先組織の皆さんともちゃんと会えて、 貸切バス数台に分乗し、ホテルへ移動です。 私が乗ったバスのガイドさん?は学生みたいな若い女性でした。 ほとんど暗い街中を走行するバスからたまに見える やや電気が集まってそこに大き目の建物があると分かるところでだけ 「あれは…です。」 と恥ずかしそうに遠慮がちに説明?するのは 初々しいっていえばそうかもしれないんですけど…? 本人にさりげなく聞いてみたら やはり本職のガイドでも通訳でもなくて、 日本語が多少できるからと駆り出された 普通の職員さんでした。 数台の貸切バスを必要とする大人数の団体だと、 各バスに同レベルのガイドを揃えるのは難しいのと 特に観光客が急増していたころだから? 急ごしらえのガイド?に当たることもありました。 もっとも日本側(=私)も人のことをとやかく言えるような立場ではありませんが…。 それなのに仕事で使ってもらえたのは、 当時の中国旅行に関わる人間の適性としては 「旅行業務が出来る」よりも 「中国環境に耐えられる」ことが 最大の条件だったからではないかと思います。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月09日 00時33分12秒
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