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ガイアの風

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2010年06月18日
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カテゴリ:芸術と文化
■レポート FMKITAQ「ガイアの風」4月18日(日)放送

【前半】
出演者:ミュージシャン渡辺知子
テーマ:命が光る

【後半】
出演者:早鞆中学校2年 平山智絵さん
    早鞆中学校2年 篠塚愛美さん
テーマ:環境作文、優秀作品発表



★今回は、渡辺知子さんの命が光る体験のお話をいただきました。
後半は、もったいない作文受賞者の作文を発表していますので、どうぞ最後までご覧ください。

二歳より音楽を始めた渡辺知子さん。
しかし、彼女は素晴らしい才能とともに命の素晴らしさも同時に体験していく運命が待っていました。

わずか11歳のときに発病。
4つの複合紫斑病と診断。
そのとき、子供ながらひどい病気だろうと気付いてしまっていました。
なぜならあたりまえにできる、教室での起立、礼の時でさえ倒れてしまう。

最初に、このままでは時間がもったいないと感じたそうです。
何か、光る方法はないかと考えた知子さんは、そう!私には音楽がある!
発病するまでの11歳までは、音を楽しむ音楽でした。
それからは、絶対に負けたくない、光らなきゃ、もしかしたら命が終わるかもしれない、音楽から音を学ぶ「音学」へと変わりました。

人より、5ページ先まで毎回練習していったり、学校へ行く道もリズムを刻みながら歩みました。

どれだけ音楽を学んでも、病気のほうがどんどん大きくなっていき「音が苦」へ。
頑張っても、頑張っても体がついてこなくなり、とうとう2つの選択が目の前にやってきました。
どうせ頑張っても死ぬかもしれない、しかしあきらめては終わりだ。
目立ちたがり屋だったことが良かったのだろう、あきらめず光ることを選んだ。
やり続けた結果、高校一年生の時に、エレクトーンコンクールで世界一になりました。
出来ることが楽しくなり再び「音楽」へと楽しめるようになりました。
しかし、残念なことに多くの所から演奏依頼はくるものの、3ヶ月先の体調さえ分からず約束が出来ませんでした。
お母さんに「知子は学生で勉強が忙しく・・・」と、嘘を電話口でついてもらうことで胸を痛めました。
生きているかも分からなかったあの頃を思い出すと、今では、先の約束が出来ることが本当に嬉しいと、番組中でも笑顔で話されていました。

後になって、20歳までの命だと宣告されていたことを知りました。
知子さんのお母さんが宣告されたその頃におばあさんが癌で余命一年だと知子さんは知りました。
おばあさんは、毎日紫斑病の知子さんの手足をさすり「私が死んだら知子の病気は全部持っていく。」と、毎日言っていました。
おばあさんはしっかりと約束を守り宣告から調度一年後に亡くなりました。
仏壇に手を合わせていたら不思議なことに知子さんの紫斑病が手足から消えているではありませんか。
本当に、おばあさんは知子さんとの約束を全て守ったとしか考えられません。

それから年月が経ち、すっかり元気に過ごし毎日ステージやテレビ、ラジオで活躍していたころに神さまからの「喝」を入れられました。
知子さんは、クモ膜下出血で生存確率1パーセントという状態で、手術後2週間目にして意識が戻りました。
この日が知子さんの二度目の誕生日となりました。

多くの障害が残り、手術をしてくださった先生までも恨む日々が始まりました。
つみきを同じ形に分けることも出来ず、トイレも行けず、そんな自分を認めたくなくいつも下を向いたまま。

そんな時に、同じように車椅子のおじいさんに出会いました。
そのおじいさんは「あんたつまらんなぁ。どこが悪いな。」と、九州弁で声をかけてきました。
「私はクモ膜下出血しました。じいちゃんはどこが悪いんですか。」と、話すこともままならない言葉で返しました。
「似たようなもんたい。わしは、脳内出血たい。」と、笑いながら「あんさん、つまらんなあ。夢も希望もないやろ。そんなことじゃつまらんばい。夢や希望が医者の薬より効くもんや。」と、おじいさんは話続けましたが、知子さんは、もうイヤ!!!と逃げ出したい気持ちでした。
しかし、おじいさんは話続けました。「あんさん、わしの夢を聞きとうなかね。」と、もったいぶりながら「わしの夢は大きかばい。もう一度、この足で立って孫と散歩するのが夢や。」それを聞いた知子さんは、ただただ涙が出て涙が出て。

おじいさんはさらに続けました。「あんさんも夢言うてみ。」
リハビリを行っていたみんながリハビリを止め知子さんを見ています。
その中で知子さんは「私は、自分の思った時間に人の手を借りずオシッコに行くこと。」と、良く話せない口で一生懸命に大きな声で言いました。
すると、リハビリ室では音にならない拍手で溢れました。
翌日から大嫌いなリハビリ室がコロっと変わってしまいました。

おじいさんが退院した後に、孫の手を引きガラっと知子さんの病室を現れました。
言葉はなく、孫の手を大きくあげワッハッハと笑いました。
知子さんは、歩行器を指差し、車椅子から歩行器に変わったと合図を送りました。
おじいさんはただ「ウン」とうなずき病室を後にしていきました。

それから後、知子さんは夢を果たしました。
一人でトイレに行けたのです。トイレの便座に座れた時にはどれだけに喜びがあったでしょうか。トイレの中で大声で泣いたそうです。
そして、次の夢を決意しました。
「もう一度、ステージに立つ」と。

そして、今ではステージはもちろん。
今度は一人ではなく障害を持った方々と共に日本中を歌と演奏で旅しています。

その中での一曲「きのうきょうあした」
双子で生まれ、二人とも筋ジストロフィーと診断された弟の大石たけしさんの詩に知子さんが曲をつけました。
22歳でお兄さんは星になりました。どうせ自分も星になるなら生きた証にと書いた曲です。
渡された詩に曲を付け、彼のいる病院で歌い彼の細い指と重ね合わせ、絶対に次の曲を書いてと約束したが・・・
約束は果たせず、その直後に彼は星になりました。

今では、その歌を日本全国で歌っています。
明日の命も分からないのに、昨日より今日、今日より明日、明日に夢を叶える・・・
是非、皆さん聴いてください!

そして、スクールコンサートも行っている知子さんなのですが、北九州市の学校にも行っています。
学校のいじめ撲滅キャンペーンでも曲を流していただいていますが、知子さんの曲がかかるとみんな静かに聴きだすのです。
昨年も、早鞆中学校でコンサートを行いました。
最後に司会の女の子が、これでコンサートを終わります・・・と、言いたいのですが!
2年連続来てくださったお礼に!と、言ったとたん。
知子さんの仲間、13人がいっせいにエーっと驚きました。
1年生から3年生がそれぞれの位置へきれいに動き始めたのです。
その動きがあまりにも的確で美しく、13人の仲間はボロボロと涙しました。

そのときのラスト曲も、きのうきょうあしたでした。
知子さんは、サプライズでなにかお返しがしたく、卒業式の日に、見つからないようにコッソリ車に隠れ、式のラストにきのうきょうあしたを歌いながら入っていきました。
3年生たちは全員口をポカンと空けて驚いていましたが、感動、感動、感動のサプライズとなりました。

こんなサプライズも大好きな知子さんですが、実は今日は知子さんにとってサプライズがありました。
後半のゲストに、偶然、その早鞆中学校の生徒さんが出演するのでした。
知子さんは、打ち合わせの時からとても嬉しそうでした。
そして、ガイアの風の吉岡さんも早鞆中学校出身。
コーディネーターとは、同じ渡辺繋がり。
なんだか、見えない縁、力って本当にあるように感じた日でした。




ここからは、もったいない作文で受賞された早鞆中学校の二人の作文を掲載します。


北九州市長賞受賞
早鞆中学校2年 平山智絵さん

★もったいないを行動に
 私の父はお弁当屋さんの会社で働いています。父は時々、お弁当が売られている場所に行って自分の経営している会社が作っているお弁当の売れ残りなどを調べています。
 そして、毎回「いっぱい売れ残りがあるな」と言うのです。私も、たまに「もったいない」と思うことはあったけど、「じぶんには関係ない」と、そこまで深く考えることはありませんでした。
 だけど今、そんなことをきちんと考えてみると、「食べたくても食べれない人、飲みたくても飲むことの出来ない人」など、世界には厳しい環境の中で飢えに苦しんでいる人たちがたくさんいます。私は、幸せなことに毎日、食べる事、飲む事ができています。それは、世界中の人たちの中で、すごく幸福なことだと思います。「スーパーで売れなくて、捨てるようなものがあったら、世界中で食べ物がなくて困っている人などに送ることが出来たら、今より苦しまなくてすむ人が増えるのにな」と思いました。
 例えば、給食での食べ残しでも同じ事だと思います。私もよく、祖母などに言われるのですが、最近は食べ物のありがたみが分かっていない人が多いです。豊かな環境の中で恵まれた大切な命を私たちはいただいています。食べ物を粗末にする事は、言いかえると環境を破壊しているのと同じ事だと思います。給食後には、毎日のように食べ物が残っています。そういった事も、すごくもったいないと私は思うようになってきました。だからこそ、最近では出来るだけ全部食べれるように頑張っています。
 このように、世界中の一人一人が「もったいない」と強く思い、それをどのように解決していくかを考え、実行していく事が出来る世の中になれば、きっと素敵な毎日を送ることができるんじゃないかと私は思います。



もったいない総研委員長賞受賞
早鞆中学校2年 篠塚愛美さん

★これはヤバイ
「先生、はし忘れたんで割りばし貸して下さい。」
 私の毎日に給食時間はこの言葉から始まります。私は毎日はしを忘れて先生に割りばしをもらいます。そして、その割ばしを使ったらいつもごみ箱の中に捨てます。心の中では「もったいないな。」と思っているけれど、やっぱり私は毎日はいを忘れてしまします。
 私のまわりの友達にも毎日のようにはしをわすれている人がいます。そうすると私のクラスだけでも一日に何膳もの割りばしが捨てられているという事になります。
 ある日、先生に、
「割りばし六膳で、A4の紙一枚が作られるんよ。」
といわれました。それを聞いた私は「私のクラスに捨てられている割りばし一週間分で少なくとも六枚は作れるな。」と思いました。
「これはヤバイ。このまま無駄に割りばしを使い続けているとたかがはしを持ってこないだけで地球の資源がどんどん無くなってします。」と考えました。
 ある男子は、前まで毎日のようにはしを忘れて割りばしを借りていたのに、最近忘れないようになりました。なんと、農村宿泊体験で、マイはしを作っていたのです。それに気づいた私は、「一人一人がちゃんと自分のはしを持ってくる事で、ちょっとでも地球を救える事ができるんだ。」と思いました。
 だから、私もこれからは身に地、自分のはしを持ってくる事で限りある資源を守っていきたいです。


(コーディネーター サイラム 渡邉敬子)







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最終更新日  2010年06月18日 18時24分19秒
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