アメリカは、人権の国といえるか
クーリエジャポン 9月号 森巣博 コラムより→日本の立法と行政が限りなく腐敗しながらもたれ合っている状況は、誰にでも見えていることだと思う。その立法と行政のもたれ合いを、監視し取り締まるはずの司法も、その二権と一緒になって腐敗しもたれあいながら、なぜか国民の側を監視し、取り締まっている。つまり、腐敗した三権が持たれ合い一緒にまとまって、国民を統治する。森さんは、それを本来監視するのはマスコミだったという。しかし、→北京オリンピックがおこなわれる。だから日本のマスメデイアでは、中国政府によるチベット弾圧がキャンペーン的に指弾される。当然、人権侵害は指弾されるべきだろう。→しかし、なぜチベットのケースだけで人権を持ち出すのか。中国政府がチベットの自治権拡大活動家に対しておこなえば非難すべき『人権侵害』となるのだが、一方中国ウイグル自治区の自治権拡大活動家たちが、アメリカによって悪名高きグアンタナモ(キューバ)の捕虜収容所に6年間も無裁判で拘束されていれば『テロとの戦い』になる。こういう事実の指摘ができない、マスコミの問題点を森さんはたたいている。ひさびさに、胸のすく文章にであったかんじだ。