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カテゴリ:マスコミの悪影響
1970年当初はまだまだ日本は貧しく、都会であっても道は未舗装、トイレも水洗ではなく、風呂も銭湯に通っている人が多かったです。それが1970年代の10年でどんどん変わっていきました。乗用車も各家庭にいきわたり始め、大学生が車に乗るというのも珍しくなくなってきました。一億総中流化がぐんと進んだように思います。 1978年あたりで「短小軽薄」という言葉が流行したようにおぼえています。技術が進んで何でも小型化が可能になるとともに、軽く生きることがカッコいいような風潮が強まってきます。 そんな社会の変化と呼応するように1970年代にマスメディアはどんどん低俗な方向へと進んで行った様に思います。 「8時だよ全員集合」では、志村けんに人気が集まりだします。「かーらーすーなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」と、会場の子供たちに大合唱させる場面を見て、不気味さを感じました。どうして大の大人が子供にそんなことをさせて喜んでいるのか???会場に子供を連れて行く保護者はいったい何を考えているのか、不思議でした。どんな了見でそんな歌を合唱させていたのでしょうか???? 1981年には、「オレたちひょうきん族」の放映が開始されています。ドリフターズが外しきらなかった「家庭向け・子供への配慮」もどんどん壊し始めました。シモネタ満載で、ダッちワイフが登場したこともありました。たけちゃんまんのテーマ曲の、「今日は吉原・堀之内~中洲・すすきの・ニューヨーク~♪」「強きを助け、弱きを憎む」という歌詞も強烈でした。 1980年代当初は、漫才ブームもあり、いっそうお笑いが過激になっていきます。ツービートは「寝る前にきちんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば恐くない」等、「毒ガス」と呼ばれたネタを飛ばし、ビートたけしは時代の寵児になっていきます。 たけしやタモリのオールナイトニッポン等、毒々しさを売り物にしたラジオの深夜放送も、どんどん過激になっていきました。 タモリは「ネアカ・ネクラ」で明るい暗いで人を二分するようにして笑いをとろうとし、暗い人を攻撃していました。ラジオでさんざん暗いと攻撃してきた小田和正を自分の番組「笑っていいとも」に呼んでおきながら表立って毛嫌いするようなトークを展開したのも印象に残っています。 1980年代はいったん「暗い」のレッテルを貼られるとそのグループ内で生きづらくなるのを肌身で感じました。「おもしろい」は若者のステータスとなり、現在になってもなお、自分を明るく軽く装うことが強迫観念のようになってしまっています。 私もそんな軽さの中を適当に泳ぎながら生きてきました。軽い人間です。 何となく後味の悪さをおぼえながらも、タブーを壊すことを愉快に思っていたし、人を嗤っていました。 差別的になってしまったこともあったと思います。誰かを傷つけたこともたくさんあったと思います。 これでいいのか? いいわけないわな・・・
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