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カテゴリ:マスコミの悪影響
団塊世代が散々モラルを壊した跡に出現したのが、新人類世代です。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンは、1960年代前半生まれ、現在もまだお笑い界のトップグループです(最近はかなり飽きられてきた様子)。爆笑問題も1965年生まれです。 芸風を含めて、彼らを一口で表現すると、「切る、キレル」でしょうか。上の世代が壊してきたタブーをさらに壊してしまいます。度を越したことを「やっちゃう」のです。社会のボーダレス化の進行をさらに進める、最後のボーダーを切ってしまう、そういったイメージでしょうか。 とんねるずとダウンタウンは、番組中でも突然キレて、滅茶苦茶をはじめます。芸の域を超えたそのマジギレぶりが、新鮮だったのかもしれません。待ったなしのツッコミがより暴力的に入れられるようになってきました。 彼らは団塊世代の「熱さ」あるいは「暑苦しさ」のあるお笑いを「クールなお笑い」に変換したように思います。団塊世代が破壊することを躊躇していた範疇に平気で入っていってけりを入れるところがおかしかったのだと思います。例えば先輩後輩のつながりを意識しないような振る舞いです。彼ら(爆笑問題を除く)は基本的には目上である団塊の世代と同じ番組には出ず、年下世代を引き連れるような格好で番組を作っていきます。とんねるずとダウンタウンの競演を見ることもほとんどありません。ダウンタウンは吉本出身ながら、師匠がいないという世代の第一号です。周りとの関係性も切ってしまったわけです。 上の世代の芸は、とりあえず「客を笑わせる」ことを目標にしていたのに対し、彼らは自分たちの芸をわからない客層は切ってしまえばいいと考えていたようです。 彼らも最初の頃は、自分たちが「ボケ」をしていました。コントの中では相当な汚れ役もやっていたように思います。それがだんだんと後輩芸人をいじることが多くなってきます。VIP席を設けてモニターカメラを見ながら後輩芸人や素人の動向をさぐるような手法を多用し始めたのも彼らです。「ボケ」の切り離しです。 私はこの新人類世代のお笑い芸人と同世代であり、彼らの感性には共感する部分もあります。おいしいところを全部とっていってしまい、「団塊の通った後には草も生えない」と言われた団塊の世代。 しがらみを壊しながらもしがらみにからまれている上の世代を見て、私たちの世代は、「何か、違う」というものを感じていました。 -------- とんねるずとダウンタウンの番組内容はだんだんとエスカレートしていく方向へ。 「いじる」も限度を超えていじめているようにしか見えないような状況もありました。お笑い番組が「いじめ」を助長しているのは明らかと思います。「あれはふざけていたんだ」「(いじめられた)本人も笑っていた」といった言い訳が出てくるのは、間違いなくお笑い番組の影響です。彼らがとるアイコンタクト(スタッフや仲間との空気の確認)といじめグループのとるアイコンタクトは本当によく似ています。 -------- とても印象に残っていることがあります。「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の第一回目の「大疑問に答える 」のコーナーで「尾崎豊はあと何が不満なんだろう?」という疑問を出して、会場が大笑いしました。尾崎豊の「マジさ」を茶化してみたのでしょう。この番組のコンセプトは徹底的に人を茶化すことのようでした。その6ヶ月後に尾崎豊は自殺ではなかろうかと思わせるような死に方をしてしまいます。彼にこの番組での「疑問の声」が届いていたかどうかは定かではないです。 尾崎豊も新人類世代です。デビュー当時はステージで7mの鉄塔から飛び降り、骨折するるというエピソードがあります。「やっちゃった」ということです。彼についても書き出すと長いですが、ファンではありません。 ファンではないけれど、「尾崎豊はあと何が不満なんだろう?」にはとてもひどく後味の悪さを感じました。 -------- 人を茶化し、嗤うこと。 それは時にはユーモアとして場の行き詰った雰囲気を緩和するような機能をすることもあります。私もついつい人を茶化し、嗤います。
だったら、これでいいのか? いいわけないわな・・・
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