今日は那覇空港で中華航空機の炎上事故がありました。この台北~那覇という路線はちょうど去年の今頃まったくこれと同じフライトに乗ったのでちょっとショックです。
さて、俗世間の話はさておき、サハリン旅行記(2)、1日目8月12日その2です。引き続きまずは街を知るため、街歩きをしました。写真はこちらのアルバムにまとめて載せておりますのでよろしければクリックしてご覧ください。(1日目その1はこちら)
その中で印象的な写真を一枚。
駅前近くにあるレーニン像。ソ連が崩壊して共産主義が消滅しても、レーニン像はそのまま残されています。シベリアなど極東ロシアでは結構レーニン像が残されているようです。ここユジノサハリンスクではこの広場をレーニン広場、前の大通りをレーニン通りといっていますが、ソ連がなくなってもそのまま名前が残っています。モスクワに次ぐ第2の都市、サンクトペテルブルクは、ソ連崩壊後すぐに旧名レニングラード(レーニンの町という意味です)から帝政時の名前に戻したのに比べて対照的です。サハリンのように首都から遠く離れたところでは、中央の体制がどう変わろうともしかしたらどうでもいいことなのかもしれませんね。取り壊すにもカネがかかりますしね。
ついでに薀蓄をもうひとつ。日本で発行される世界地図や地図帳を見ると、サハリンの中央部に国境線が今でも引かれていることをご存知でしょうか。サハリンの真ん中北緯50度線に一本、サハリンと宗谷海峡の間にも一本線があるはずです。北方領土の択捉島の先に国境線があるのは当然としても、北方領土とは関係のないサハリンにまだ国境線が残されているのは変だとは思わないでしょうか。これは、日本が国際的に南樺太(北緯50度線以下のサハリン)を1951年の戦後処理のためのサンフランシスコ講和条約で放棄したのですが、このとき旧ソ連がこの条約の調印に参加しなかったので、今でも日本政府の立場としては南樺太は帰属未確定、どこの国でもないということとしているわけなのです。一方、ロシア発行の地図をみれば、そんな線はすでにサハリンにはなく、宗谷海峡と国後島の西側にそれぞれあるのみ、地図などは国の立場でどのようにもなるわけですね。。