この週末は珍しく遠くに出かけませんでした。温泉にも金曜夜に近場の日帰りに行っただけで、淡々と時間が過ぎました。
毎週見ているNHK大河ドラマ「篤姫」。もう残り数回のところまで来ましたが、今日は徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで朝敵にされ江戸に逃げ帰り、天璋院(篤姫)と対面するところでした。天璋院が慶喜を諭すセリフ、なかなか感動ものです。慶喜はこのあとひたすら恭順することで、結果江戸での薩摩との戦いは回避されることになるわけですが、その背景に天璋院の働きがあったとは知りませんでした。多少脚色されていることは割り引いても、あの時代、相談する者も周りにいない慶喜と徳川家を助けた天璋院さまというのは、当時でまだ30代半ばくらいだというのに、すごい人物だと改めて関心してしまいます。
さて、その「篤姫」で少し不思議に思っていたことがありました。篤姫やその実家の今泉島津家の面々、島津斉彬や小松帯刀は標準語をしゃべっているのに、西郷隆盛と大久保利通は薩摩弁丸出しという言葉づかいになっています。同じ薩摩の人なのに変じゃないか、と思っていたら、島津家関係者など身分の高い人は、いつでも江戸に遣わされても大丈夫なように標準語(江戸時代にはまだそんな言い方はないと思いますが)で話すように小さい頃から教えられていたようです。確か島津斉彬は江戸で生まれ育った?ので、普通に標準語なのでしょうが、薩摩にいた身分の上の人もあんなにうまく標準語をしゃべれたんですかね。実際あの時代の「標準語」的なものもどんな言葉だったのかわかりませんし、ちょっと疑問。そういえば、ドラマの前半のほうで、篤姫が徳川家定の妃になることが決まり、京都か江戸薩摩藩邸で薩摩なまりを矯正されるシーンがありましたが、別にそんなになまっていなかったのでちょっと変な感じがしました。
しかし、あの時代、薩摩や長州、土佐など日本各地から人が急に集まってきて、少なくとも維新の志士の人たちはみんな方言丸出しで言葉が通じなかったんじゃないかと。そういえば、明治維新後、警察官は薩摩出身者が多かったので、警官がよく言う「コラ~」は薩摩弁起源とかいう話もありますね。
薩摩のことを書いていると、このドラマでも坂本竜馬が日本初の新婚旅行に行ったという霧島温泉が出てきましたが、次の遠征目標としては薩摩方面にしたくなってきました。。
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