別世界を覗き見る。
今、自分が歩いてる道と昔、自分が歩いてみたいな・みようかなと思った道。そして今は、誰かが歩いてる道と。これから、誰かが歩いてみたいと目指してる道と。それぞれが観ているものは違ってその場所で感じてることも違って知りたいと思った。飛行機も車も電車も人の声も寝静まる午前三時。いい感じにお酒に回った頭が文字を打つ。今なら感じてることをこのまま言葉にできそうだ。僕が自分の『将来』を選んだときのその理由の中に「その先が想像できないもの」これから自分がどうなっていくのかどんな社会人になって、物事を考えるのかをそのときに想像できないほうが楽しみだと感じた。だから考えもしなかったものをえらんだ。だからいろんな人に「どうしてその仕事を選んだの?」そう訊かれることが多いんだとは思ってる。それを説明することは自分の道を宣誓するみたいで話すことは、僕は好き。自分の話をするたびに、自分の道を確認してる。自分で自分の言葉を曲げるつもりはないから。だから頑固だって言われることもあるんだろうな。昔からの夢を実現した人がいる。それは、一度は自分の想像した未来でおこがましいことだとは思うけど正直なところ、自分に向いてるものだとは思ってる。でも。社会に出て感じる。やっぱり甘かったんだなって。実際を想像しただけで胃が痛い。どれだけのプレッシャーなんだろう。「無理」その言葉ばかり出てくる。自分の今の仕事でさえこれだけいろんなこと考えたのに。その実際を聞くだけで想像を超えてるものなんだなと感じた。でも「楽しいと思えてるよ」そう言ってた。せき込みながら、喉を傷めた低音で。言葉にしないだけでいろいろ悩んでことがあったはずなのにその言葉の端々には戸惑いながら「シアワセ」を噛み締めてる音がした。ほんの一カ月ちょっと前に話したのにこの一カ月に何があったんだろうと思えるほどに自身の方向性を持ててると、僕は感じたんだ。頼もしかった。それが夢をかなえた強みなのかな。積み重ねた願いへの積み重ねの結果かな。 僕自身は。社会に出て、一年たって「楽しい」と思える瞬間は、格段に増えた。仕事の流れ・要領がわかって自分のわかってることが増えてわかってないこともはっきりしてきて立ち位置と方向性が明確になったから。何が違うのかな。 なんていうんだろう。目指したものがあってそれを叶えた人がいて。叶えたけど、そこから新しい選択をした人がいて。叶えられる状態だけど、違う選択をした人もいて。ずっと考えてたものと、違うものを選択した人もいて。うーん。夢を叶えようとなんだろうと常にいろんな選択はついて回る。それをどう選ぶのかそれがその人の道を作ってく。これからどうなってくなんて誰にわかるんだっていうんだよね。自分にすらわかんないのに。それを目指す気持ちを知りたい。その道を歩いてる人の目線を知りたい。見えないものを覗き見たい。はは。昔から見たいものが増える一方で、減りやしない。僕は投げかける。「楽しいモノを選んだ?」「今、たのしいと思えてる?」さあ。あなたは、なんて答えるの?