『永遠なる父』
2001年8月20日、午後1時頃、電話が鳴った。僕は何か緊迫した雰囲気を感じた。それは、登山に行っていた父の滑落事故の知らせだった。この時の張り詰めた空気。自分達の行動。母が泣き出した事。病院に駆けつけるまでの一挙一動をとても鮮明にリアルに覚えている。それから3ヶ月後父が死んだ。それは、覚悟していたとはいえあまりに急でそして漠然としていた。そのためか、心が未だにきちんと受けとめきれていない気がする。僕も母も弟も、家族全員が。この本(「葉っぱのフレディ」)を題材に、二年前にも作文を書いている。再び読んでみると、感想がとても変わっていた事に驚いた。以前は、文字を読んでいただけで、特に深くは考えていなかった。しかし、現在では、フレディの死への恐怖が、全てとはいかないが、少しは想像できるようになっている。父は意識のない状態ではあったが、その中で一体何を考え、そして、自分を見守る僕達をどのように見ていたのだろうか。それは、誰にも解らない。しかし父は、「こんな事になってすまない。」と考えていたに違いない。僕の見ていた父は、人一倍、いや三倍程も活発で元気で、自転車のパンク修理、日曜大工もうまく、スポーツ万能。なんでもかんでもやってしまう、とてもパワフルな人だった。僕はこんな父を自慢に思い、尊敬し、憧れていたことに、今となって気付いた。そして、僕にとって、なくてはならない存在だということも。母はどのような気持ちなのだろうか。誰よりも大切な人を失い、1番悲しんでおり、今でも時偶涙を見せている。でも僕は、何故だかそうはならない。泣きたくなる程悲しくなれない。僕と母の悲しみの違いは、何なのだろうか。僕も大人となり、大切な人ができるとわかるのかもしれない。でも、まだ今は想像が及ばない。友達などが、父親の話をしているのを聞いていると父と一緒に遊んで楽しかった事やいろいろな事を思い出して少し辛くはなるがその場限り。洗面所には、まだ父の歯ブラシや髭剃りが残っていて、それを見た時にも悲しくはなるが、それも稀な事。父のいた時のままにしているのは、逝ってしまった事を否定しているのではないか。このままただ何と無く、この現実を納得しないまま、混沌とした気持ちで過ごしていくのだろうか。僕や母、弟をはじめ、父を知っている多くの人が、父の死を嘆いてくれているにもかかわらず、一人勝手に度だった父を腹立たしく思ってしまう事もある。以前は「葉っぱの寿命は一年、人間はおおよそ80年ぐらい」などと、勝手に考えていたが、事故だったとはいえ、人並み外れた生命力を持っていた父が、40才という若さで逝ってしまった事で人間も葉っぱと同じように、人により寿命が決まっているのだ、と考えてしまう。それを運命と呼ぶのではないか。実際、最後の夏。父はいつも以上に自分の趣味に時間を使い、そして僕達と遊ぶ機会を作ってくれていた。まるで、時間を惜しんでいるかのように見えた。もしかしたら、もう自分には時間がないのではないかと感じていたのではないだろうか。そのようにでも考えなければ、あの父がいなくなるはずがないし、今の自分の気持ちに整理をつけることができない。人はいずれ死んでしまう。でも、残された者は、それを乗り越えていかなければならない。きっと父は、僕と母、そして弟にとっての心の支えとなり、僕達の中で、永遠に生き続けるだろう。ダニエルが言った━「いのち」は永遠に生きている。━という言葉のように。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆3作目。これも2002年。当時中学三年の僕が書いた読書感想文。「死」という言葉をあまり使わないように心掛けて書いた記憶がある。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆3作とも読んでくれた人に感謝♪これらを読んで、何か考えていただけたら幸いです。