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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:源義経
義経は、平泉に到着、秀衡の伽羅の御所の宴の席で、秀衡の子、泰衡、国衡、忠衡と家臣団の紹介を受ける。
家臣団には、河田次郎、照井高道、佐藤元治、田川太郎、金剛別当秀綱らが登場するが、このうちの田川太郎の一族は、出羽の国、現在の庄内地方東田川郡・西田川郡を所領していた。 また、秀衡の妹は 徳子、徳前とよばれ、岩城次郎太の未亡人とだったので、徳子尼(トクコアマ)、徳尼公、徳尼さまともよばれた。平泉が鎌倉に敗れた後、彼女の一族でもある、田川太郎をたよろうと大勢の従者とともに一時、立谷沢地区に隠れ住んだ。そこは、妹沢(イモトサワ)と呼ばれ 現在では集落はなく、徳子尼の遺跡や伝説のみが残る。 徳子尼は、さらにその後、酒田へと移り住んだ。泉流寺のある場所といわれている。そのときの従士、子孫らは、36人衆と呼ばれ、徳子尼を祀り、酒田の街つくりをした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月28日 18時13分51秒
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