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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2005年12月11日
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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:源義経
 歴史に もしは、ないといわれるがあえて、
秀衡の遺言どおりに、藤原3兄弟で 義経を大将にして戦っていたら、
泰衡ではなく、国衡を4代目にしていたなら、
国見ではなく、白河の関で鎌倉軍を迎え撃っていたなら・・・など。

 昔から多く語られてきたことだが無念さが残る。

 ところで 安宅の関の話の後、義経主従は無事に平泉に到着したが、
途中の行動が、ドラマでは演じられていないので少し。

 北陸路から念珠ヶ関を越えて 当時平泉の所領であった山形県(庄内)に入り、
清河(庄内町)にある五所の王子社に参拝し、最上川(最上峡)をさかのぼっている。

 現在の国道47号線を新庄へ向かう道である。
その数百年後、”奥の細道”で有名な芭蕉も同じ道を通るのだが、
義経のルートとはちょうど逆方向(新庄から庄内)に通る。

 途中の羽黒山には、頼朝が寄進したといわれる黄金堂(こがねどう・国の重要文化財)がある。
頼朝が平泉を討つにあたり、勝利祈願(1193)し、その御礼に寄進したとも伝えられる。

 黄金堂という社名は、平泉の金色堂を思い起こさせる。
他にもたくさんある出羽三山の神社、寺院のなかで、
なぜ、頼朝は黄金堂を寄進したのだろう?
それも場所が羽黒山の随神門や山頂からかなり離れている
羽黒山の宿場町、手向(とうげ)の入り口近くに。
社名からして頼朝も平泉の金色堂を意識したのかもしれない。
Koganedo
 ドラマでは、頼朝が念仏堂にこもっているのに、政子と時政がはしゃいでいて
ふと藤原氏や義経が敗北したのは頼朝ではなく 北条氏なのかな?と思ったりした。
 藤原氏や義経の無念さでは終わらせないで
きれいな形でよい印象に残すように配慮されていたと思う。


(※ 写真は黄金伝説などがある黄金堂。雪囲い中の05年秋に撮影。
色は金色ではなく何も塗られていない無垢のお堂。
正善院という寺でもあり、建立は、
古く聖武天皇の時代、728年(神亀5)とも伝えられる。)





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最終更新日  2005年12月12日 00時15分05秒
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