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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:源義経
新郎十郎義盛の名は、世界遺産登録で有名な熊野古道の中の熊野の新宮に住んだことに由来するという。彼は、源行家と名前を変えて、木曾義仲、源頼朝、源義経らに平氏打倒、源氏の決起を呼びかけた。東国への旅の道中での身なりは、源の姓に改めたにもかかわらず、熊野の山伏の服装だ。後に、義経が頼朝に追われた時に、羽黒山の山伏の服装で 奥州に逃げのびたように、山伏は 関所や国境を自由に越えられる特権を得ていたようだ。
実際、山伏は武力も持っていた。山伏が、山武士と書かれたりしたのも、うなづける。義経の時代は、まだ 武士の社会が確立されていない時代だが、武士は古くから”もののふ”と呼ばれてきた。今回、北条家の人たちが、その”もののふ”という言葉を連呼するのが、とても印象的だった。 ちなみに、山伏修験の三大拠点は、羽黒山(出羽三山)、熊野三山、英彦山。 熊野といい、羽黒といい、山伏と源氏との繋がりが深いことが読み取れるように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年02月25日 19時56分18秒
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