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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:源義経
頼朝は、鶴岡八幡宮造営に功績のあった大工に、褒美の馬を贈るための馬引きの役に義経を指名する。頼朝は、まだ義経を心から弟とは認めてはいなく、味方としての信用さえしていない様子である。
この舞台となった鶴岡八幡宮のある鎌倉に行ったことがある。もう7.8年前になるだろうか。鎌倉の大仏、建長寺、頼朝の墓などをまわった。修学旅行の定番なのかも知れないが、正直、それまで行ったことがなかった。 私は、親”蝦夷”派なので、”よくも藤原氏を滅ぼしてくれたな~”などと少し、今のアジアの反日感情に似た(?)ような気持ちで訪れた。 そして、鶴岡八幡宮の入り口近くだったと思う。看板があって、確か、鎌倉の寺々の多くは、奥州攻めの後に平泉に感かし作られ、永福寺などは、奥州の合戦の戦没者の慰霊のために、平泉の寺院をまねて作られたという内容が書いてあった。 なんとも、複雑な思いがしたことを覚えている。やっぱり戦争はよくないね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年04月24日 23時53分57秒
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