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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2005年05月08日
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 今日の読売新聞にこのような見出しが載っていた。
今さらというべきか、やっぱりというべきか。
 歴代天皇や皇族の陵墓などについて、宮内庁(旧宮内省)が戦前~昭和30年代にかけて、1部指定の見直しを本格的に検討していた・・・という。
 宮内庁の内部の人も天皇陵などの呼称が事実とあっていないということに疑問をいだいている人がいたということか。

 森浩一氏が「巨大古墳の世紀/1981.岩波新書」でも、指摘していた内容だ。
例えば、エジプトのピラミッドより大きく世界最大の墓、と小学校でもならった、仁徳陵についても、「仁徳稜」から「仁徳陵古墳」という遺跡名を使い始めたことについて、
”それは「宮内庁が仁徳陵に指定しており、世間でもその名でよんでいる古墳」という意味であった。もちろん、言外に「これは仁徳陵かどうか学問的な問題は別ですよといいたかったのである。」”と書いている。
 仁徳陵古墳は、なんと呼ばれたらいいかについては、もともと「大山(だいせん)古墳」と近隣の人たちに呼ばれていたのだからとして、森氏はこの名称を使用している。
さらに”現在のように墳丘内への立入り観察すらも禁止されているのでは(大山古墳が確実という前提つきで誰の陵と特定できる)そのいつの日かがずっと遠い日になるだろう”と、残念そうに書いている。

 仁徳陵に 仁徳天皇が葬られているということさえ疑わしいのだ。古墳・陵墓名と天皇の割振りをした当時、その割り振りに関して 根拠のないいい加減なものが いかに多かったかということがうかがい知れる。
 今日の新聞には、宮内庁陵墓課のコメントも載っていて、”100%確実な資料が見つからない限り、陵墓や参考地の変更はむずかしい”としているが、事実がはっきりしないだけでなく、事実とも明らかに違うとわかっていながら、違った天皇名を冠にした古墳名をこれからも使用していくのは、いかがなものかと思う。

 これらは、情報公開法による閲覧でわかったことだというが、情報の公開というのは本当に大切だと思う。





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最終更新日  2005年05月08日 21時53分34秒
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