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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:源義経
義経は、三種の神器の、鏡と勾玉をとうとう手にいれた。
やっと手に入れた鏡と勾玉だが、それを簡単に後白河法皇に献上してしまった。 頼朝と北条氏はその報告を聞いておどろく。 頼朝が、三種の神器を手に入れらたどうしていたであろうか? 清盛みたいに自分が天皇の後ろ楯になっていたであろうか、 のちの足利尊氏みたいに新たな天皇をたてただろうか、 はたまた、平将門のように自ら新皇と名のっていただろうか。 この三種の神器、とても有名なのだけども、歴史的な信憑性にかけその意味付けは とてもむずかしいようだ。 ”三種の神器”とは、 八咫鏡(やたのかがみ)、 草薙剣くさなぎのつるぎ)/ 別名・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことを言う。 天皇の皇位継承の象徴であり、天皇の主権の存するところを象徴する天皇家伝世の神器として代々の天皇が伝承・伝授して絶えることなく今日におよんでいる聖なる器、とされている。 ドラマ「義経」(平家物語)では、鏡と玉は無事だったが、剣が壇ノ浦に沈み発見することができなかった。剣は今も壇の浦の底、に眠っているということになる。 一方、神話では天照大神より三種の神器が皇孫代々に伝えられたが、崇神天皇のときに天照大神親授の鏡、剣を模造し、真の”鏡”は伊勢神宮に”剣”は熱田神宮におかれ、”勾玉”は代々、天皇に引継がれてきているともいわれる。そうだとすれば、平家物語との整合性がつかない。 仮に 三種の神器が実在したとしても公開するものでもないので、出所(作られたところ)やその経緯ははっきりわかっていなく、なぞだらけ、といったほうがよさそうである。 ただ、この鏡・玉・剣を ”三種の神器”とよぶということはある程度の長い間、語り継がれてきたことのようだ。それらを天皇の権威の象徴としたり、日本民族の祖先となるものとしたり、主な3つの民族(縄文系・弥生系とか)の象徴をそれぞれの神器とし、さらにそれらをもつことで統合の象徴である、と考えたり、はたまた、鏡を太陽神、勾玉を月神のシンボルと考えるとしたり、様々な意味付けがあるようだ。 そんな多くの人々の三種の神器に対する崇拝とか思い入れとかが、歴史として語り継がれてきたのだろう。それが実存するのかどうかはわからないのだが実存するとしたらどういうものかだったのか、大変興味をひかれる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月05日 22時57分11秒
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