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カテゴリ:古代史 <出羽の国>と<日本>
前回、ボンデのことを書いた。その続きから。
”ボンデ”は、直径10cm、長さ1~1.5mの長さの孟宗竹に 上から1/3のところにギザギザの幣(ぬさ)を垂らし、 その上に神社のお札を紅白の水引きで縛ったものである。 幣(ぬさ)は白がふつうであるが、特に金色のものを金ボンデ、銀色のを銀ボンデと呼んだ。 また、孟宗竹に根が付いているのを根っこつきボンデといってよりありがたがれる。 これを勝ち取った子供は 最後に背中にのせ、土俵でしこをふみ みなの喝采をあび、家に持ち帰る。 トロフィーみたいなものだが、ボンデの方が格調高いと思う。 ボンデをとった子供の家では、誇らしげに床の間に飾る。 羽黒山の入り口、随神門の近くに”いでは文化記念館”がある。 ここは、出羽三山の歴史、羽黒修験道の特徴や文化をわかりやすく 紹介してくれる施設である。 そこに、この”ボンデ”とそっくり、というかほとんど同じものがある展示してある。 それが”梵天”といわれるもので、羽黒山・山伏の修行で使われるものであるというのだ。 梵天は、宇宙のシンボル、男根をシンボル化したものとされ、 そこで行われる儀式は日本神話のイザナギとイザナミにならい、 まぐわいを儀式化したものともいわれる。 梵天はもともとは、バラモン教の宇宙の創造の神。 仏教では守護の神・護法の神。 ちなみに修験道において、相撲は修羅行としてみなされていて、 修験道の十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)、つまり10種からなる修行の内の1つとされている。 修行では、相撲によって、排他闘争の醜さを自覚し、相手の優秀さを認め、 己を練磨し、向上進歩を目指す、 小我を離れ道を思って発することが、実践に通ずることを感得する、 という。 形といい、言葉といい、内容といい”ボンデ”は羽黒山修験の”梵天”に由来するのに間違いはないと思う。祭りの相撲、もっと大まかにいえば大相撲も山伏修行と関係がある、と考えられるのではないかと思う。 全国には梵天祭りとよばれるまつりが数多くある。 これらも同じように宗教上の意味をもっているのではないかとも思う。 さて私の相撲の話にもどるが、このボンデ、もちろん1つももらったことはない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月09日 23時12分21秒
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