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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2006年05月07日
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茨城県桜川市へ行ってきた。

 桜川市は、2005年10月1日に、岩瀬町、真壁町、大和村が合併して誕生したそうだ。筑波山の北側に位置し、市内にある”鏡ヶ池”を源とし 霞ヶ浦にそそぐ”桜川”沿いに位置する。この中の旧真壁町は私が前々から行ってみたいところの1つだった。

 山形出身で"真壁仁(まかべじん/1907-1984)という詩人がいた。彼の”野の自叙伝”という著書の中に、彼の真壁という苗字は、自分の先祖が茨城から移り住んできたことに由来する・・・という記述があって出羽の国へ来た真壁さんのゆかりの土地を見てみたかった。

 真壁仁(1907~1984)は草莽の詩人ともいわれる人で、山形では文学賞もあるぐらい有名な詩人である。東北の自然や農業を題材に書きその大切さを説いたことで知られる。また、真壁仁は県内の多くの学校の校歌をつくっていて、彼の詩は県内の多くの人々の心にしみこんでいるといっていいと思う。ちなみに私の小学校の校歌も彼の作詞でよい詩としてみんながとても気にいっていて学校の誇りの1つだった。

 旧真壁町の町の中心には”歴史民族資料館”があり、町から出土した縄文土器、須恵器、陶器などが展示してあった。この町が歴史のある古い町であることが想像できる。旧真壁町の隣には大和村という地名もあるので古代に関係する地域、蝦夷に関係する地域であるようにも思える。土に根ずく真壁仁の姿と重なるものが強くある。

 町の東側には 平安時代末期から安土桃山時代(1602年)まで真壁地方を治めた真壁氏の居城で、現在は国指定史跡の真壁城跡がある。東西850m、南北450mという広大な敷地だそうだ。

真壁町は道路が碁盤の目になっていてかつての城下町の姿をしのばせてるようだ。建築後50年を経過した住宅や蔵、煙突、橋などの建造物を文化財として登録して古い町並みを大切にし保存しているので、町全体が映画のセットのようなきれいな街だった。

 真壁氏は関が原後、佐竹氏の家臣として秋田角館へ(1602)と移転した。真壁仁の苗字は まさにこの真壁氏と関係があるのかもしれない。

 不思議なことだが飛鳥など古代の町は居住にはあまり適さなく現代では家相的にはあまりよくない山の北側にあることが多い。暦となる月の観察を重視したからなのだろうか、その理由はわからない。桜川市は筑波山の北側に位置していて、そういう意味では古い形式が残っていそうな場所だ。大和村の他、月山寺、羽黒駅(水戸線)、鏡ヶ池、明日香、加茂部など、出羽の国や日本の古代史に関係のありそうな地名が多いのが興味深かった。





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最終更新日  2023年09月24日 18時50分33秒
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