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テーマ:本日の1冊(3693)
カテゴリ:古代史 <出羽の国>と<日本>
日本書記の、”蝦夷、綾糟(アヤカス)事件”の分析(1.2章)から 始まる。敏達10(581)年、蝦夷の首長、綾糟が数千人とともに 国の辺境に侵攻した、という事件だ。 首長・綾糟は捕まえられたのだろう、泊瀬川の川中に入り、 水をそそり三輪山(467m)に向かって天皇への服従を誓う。 この記述の内容について、 三輪山と天皇霊の関係と蝦夷の宗教感の違い、川で水をすするという 中国風儀礼的行為、誓いの言葉の意味が当時の定型の文言であること、 の疑問について検討し、習慣、地理的違い、記述の視点が一方的な ことから、疑問を投げかける。 その他、 3章で、毛野(けぬ)と呼ばれる東国の国、国造と、仙台平野の蝦夷のと関わり(4C-8C) 4章で、阿倍氏と現在の福島県の地域との関わり(4C-7C)、 5章で、東国、常陸の国と、ヤマトタケル伝説との解説(-4C)、 6章で、阿倍比羅夫の遠征(4C-7C)、 7章で、多賀の柵(737)から、呰麻呂(アザマロ)の乱(780)までの柵構築、 8章で、アテルイ-田村麻呂の戦い(789-802) について解説する。 時代がところどころで分散するが 全体として、北関東も含めた蝦夷の内容であり 蝦夷の記述の広い範囲にわたり調べられまとめられていた。 とくに、桓武による征夷政策、鎮守将軍(陸奥按察使)、大伴駿河麻呂への東征命令(774)から 爾薩体・幣伊の戦い(811)までを”38年戦争”としているのが興味深かった。 ***** ***** ***** ***** ***** ところで、この本で三輪山と初瀬川に興味をもった。 三輪山は 山そのものが御神体で大和で一番古いといわれる。祭神は大物主。 山を信仰するということは縄文や日本古来の信仰に近かったのではないだろうか。 誤解を恐れずいえば、大和と蝦夷は、山に対する共通の信仰をもっていたのではないかとさえ思う。 中国、朝鮮などの大陸的な文化との繋がりが強調される大和だが、その縄文的な内容を引き継いでいることを解説してくれるものは少ない。 大和が中国や朝鮮と違うとすれば、それは日本特有の縄文的な内容をもつからではないだろうか。作者は ”蝦夷”を”エビス”と読むとしている。日本書紀では大物主と大国主は同じもの。古事記では大物主は出雲やその国造りを助けたとされる。出雲文化を中心にした時、大和や蝦夷との関係のなぞも解けるように思う。 初瀬川は三輪山の南側を流れる川だが、その川沿いには崇神天皇など古い天皇陵がある。 この川も蝦夷との関係を解く手がかりになるのではないかと思う。 ※ 写真は橿原市から見た三輪山。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月26日 19時51分17秒
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