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テーマ:ノンジャンル。(2217)
カテゴリ:古代史 <出羽の国>と<日本>
田植えが今がピークであるという記事と、田んぼに逆さに写る鳥海山の写真が5/15付けの新聞にでていた。庄内平野の田んぼの風景はとてもきれいだ。
以前、蜂子皇子が生まれた場所が 初瀬川と寺川の周辺の大伴氏の拠点ではないかと推測した。出羽と奈良の風景には どんな共通点があるだろうかと考えてみた。 奈良県にある“初瀬川”は奈良盆地の南東部の笠置山地を源として長谷寺を境に東から西へと流れ、三輪山の南側、麓を流れる。それから三輪神社あたりで少しずつ流れを変えて北の方角へと流れていく。 “寺川”は 奈良盆地の南東 談山、多武峰を源とし北の方角から南の方角へと流れ、初瀬川と同じく三輪山の南側から西側を通り、初瀬川(大和川)に合流する。 自然の地形は人の力では簡単にかえられないのでまったく同じというわけにはいかないが、三輪山周辺の地形は 出羽の国、月山の北側、羽黒山一帯の地形とどことなく似ているところがある。 高い山が平野・盆地の東側や南側に位置し、南から北側に流れる川があり、東から西にも流れる川もあることだ。 初瀬川が最上川で、寺川は、立谷沢川、藤島川が飛鳥川、羽黒山が談山あたりという対比になる。 風水では、北に山(玄武)、東に川(青龍)がよいとされる。理想の風水とは、逆の地形だ。生活するには少し不便な土地かもしれない。にもかかわらず、このような地形を選んだとすれば、夜に月や星がよくみえることがあげられるのではないだろうか。 暦を天体や自然現象で決めていた古代、時間や季節を知るために、天体の動きはとても重要だった。古代の人々は、北極星や北斗七星が見える山の北側の斜面を選んで住んだとかんがえられるのではないだろうか。 羽黒山一帯は、蜂子皇子が来る以前から、蝦夷の神がいると信じていた場所、聖地であったといわれる。 蜂子皇子がこの場所に出羽三山を開山したというのは、自分のふるさとと似ていたから、ということもあったからかもしれない。 現在、飛鳥には 古の都の建物は少なく、古代と現在の風景はかなり違う。しかし、山すそに 偶然にも今は柿畑が広がり、そこから田園風景が広がる。そのように広がる風景が、日本のどこにでもあるような風景でありながら、重なってみえるのはなぜか不思議な感じがする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月23日 22時12分03秒
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