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テーマ:日常の雑談(2709)
カテゴリ:文化・食べもの
市民憲章が東北弁で書かれたという記事が読売新聞にあった。
9月1日発効の宮城県栗原市の市民憲章である。 http://www.kuriharacity.jp/ なぜか直接 こころにうったえてくるように感じる。力強い。 「あのやわらかな響きが標準語だったら、日本におけるオペラと詩劇の完成は1世紀早まっただろう」 解説として劇団四季の浅利慶太さんの師であるという、加藤さんという方の東北弁の長所・すばらしさを評したある本の中のコメントも添えられていた。 奥羽山脈を越える位置ではあるが この栗原市の市民憲章にある言葉は私の話す言葉といっしょだ。とても親近感を覚える。 ところで 東北といっても広い、言葉やアクセント、なまりは地域により異なる。勝手な私の印象であるが、同じ東北でも今の県ごとで分けるより海側と内陸側とで分けるほうがことばや文化はより近いのではないか、と思う。例えば、庄内と秋田、弘前、もう一方は、山形と福島、栃木というように。 東北(語)弁という共通語はない。それでも、いわゆる標準語と比べると“東北”という“くくり”は確かに強くある。 今はわからないが昔は、小学校や中学校の教科書には石川啄木、金田一京助、太宰治、斉藤茂吉、宮沢賢治・・・などなど、東北出身の作家の作品が数多くのっていた。 東北の人の言葉使いには独特な言葉の言い回しがある、それがとてもよいのだと思う。 残念に思うことは、作品の内容は別として、この有名な作家たちは東北出身と言うのだけれど実感として少し東北の人達と距離をもって感じるところがあることだ。その理由は作品の表記が標準語であることによる。苦しい例えだが、相撲や柔道の説明を英語で読むようなものかもしれない。表記が方言が多いものには、藤沢周平の”春秋山伏記”(右)があるが、これはほとんど例外に近い。 昔の人が“東北語という東北の標準語をつくってくれていればなあ・・・”と今もおもう。郷里の偉人もつくれなかった東北の標準語は ほんとうに“夢のまた夢”のようだ。 予断になるが、現在の日本の標準語、これは、実は関東弁でもなければ、関西弁でもないそうだ。明治時代に政府によって作られた造語だという。 関東の言葉を基にしてはいるが、意図的に作り変えられたと言われている。たとえば、関東では、お父さんは、“おとっつぁん”、お母さんは、“おっかさん”だったが響きが悪いということで東京山の手と 四国のことば“おたあさん”から造語されたのだそうだ。 ちなみに私の地域で、もともとの父母の呼び方は“DaDa”と“Kaga”だ。かなりひいき目にみているがちょっと英語っぽい。東北弁は 標準語を“サ行”や“タ行”を濁点にして、“し“を”す“に、いれかえれば、東北弁になると思っていたが、そう単純でもなかった。 関東にも東北の方言と同じような方言はあるようだ。ことばに濁点がつくところもあるし、イントネーションがほとんどない言葉のところもある。今では少ないが 年配のある人が話す言葉を聴いて、東北の方言を話しているように聞こえて東北の出身かと思っていたが実は関東地方の出身ということもたまにあった。そういう、関東の感情豊かなよい方言も標準語は犠牲にしていることになるだろう。 標準語をつくるということはある程度の犠牲がでてくるし、東北標準語をつくってさらに浸透させるのは、かなりむずかしい。 “歴史”についてはどうだろうか。東北の古代の資料は少ないし、近畿の歴史資料を使わざるをえないのでハンデはある。ゆがめられた歴史の内容もあるのだろう。でも、少しずつ、解明すれば解決できそうな気もする。 ところで栗原市は古代(宝亀11年/780年)、伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)がこの地域の郡長、蝦夷軍のリーダーとして戦った宝亀の乱の歴史の舞台となった地域でもある。(くりはら≒これはり(る)、どのような意味だったのか気になる。)ここは蝦夷と大和との国境の町だった。 自分の国や地域に誇りをもつには、言葉と歴史の共有が大切なはずだ。それをきちんと理解することで、“奥羽、エミシ”という地域への意識が強くなるのではないかと思う。Identity、栗原市の市民憲章は、そういう意味でも とても立派だ。そして、いろいろ議論はあったようだがこれを採択した栗原市の人々を尊敬する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月09日 00時39分51秒
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