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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2008年01月07日
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カテゴリ:神社、史跡と歴史
 去年は2つの大きな博物館へ行った。

 運営管理は違うようだが さすが 国立!?
展示の内容は教科書に出てくるようなものにあふれ、充実していた。
挂甲(けいこう)の武人  
 1つが上野公園にある東京国立博物館
訪れたのは、10月上旬、ほぼ10年ぶりになると思う。
たまたまかもしれないが、以前に比べて外国からの観光客が多いのに驚いた。
(個人的には日本の博物館もルーブル美術館みたいに大きくなってもほしいと願っている。)

 博物館の館内のボランティアによる説明会があって参加した。
展示物を詳しくわかりやすく説明してくれ、とてもよかった。

 ”ハニワ”は たくさん発掘されているが、国宝になっているのは、
これ(写真)だけなのだそうだ。6C頃のものといわれる。

 ちなみにその頃、出羽の国では、蜂子皇子が出羽の国へやってきている。

 長岡京遷都
 もう1つは千葉県佐倉市にある歴史民俗博物館(歴博)
12月の最終日近くに訪れた。(右:パンフ)
企画展示の”長岡京遷都・桓武と激動の時代”を見に行った。
 桓武天皇といえば、平安京、現在の京都に都を置いた最初の天皇。
しかし、私のイメージは、かってに”征夷”といって、
東北地方に軍を派遣し、”38年戦争(774~811)”
行なった人。

 展示では、その辺が詳しく解説されていて興味深い。

 アテルイ(阿弖流為)と田村麻呂の話だけでないところもよかった。
38年戦争が第1回から第8回までの年表になって整理されている表には、
征討の内容が細かく記されていた。

 大伴家持第2回の征東将軍にがなっていたことは今回、初めて知った。

 また、記録による大和側の兵士の数は最高で10万人、死者が1061人、
蝦夷側は、4千人、斬首は457(級)というのをみると、
大和側の損失は大きく、蝦夷軍が決して負けていたわけではないことがよくわかった。
まさに、エミシを一人百(もも)な人である・・・。

 蝦夷側は焼失させられた村(800戸)などがあり、損失も大きかった。
そして、大和側の国力も疲弊したため、38戦争は停止したことがよみとれた。
戦争自体が、自然消滅していく感じだ。

 では、なぜ桓武天皇が征討を行ったのだろうか?
城柵が蝦夷に攻撃を受けて機能しなくなったからだとか、
理由がいくつか考えられているようだ。が、それでは なぜ蝦夷がこの時期に
急に攻撃を行なったのかなど、はっきりとした理由がわからない。
まだ、解明されていないようだ。
蕨手刀
 この38年戦争では、大和側の兵士の多くが坂東の兵士であった。
坂東(夷)VS 東北(蝦夷)という構図で 
その後、前九年・後三年の合戦、源氏と藤原氏との戦争に引継がれ、
歴史がくりかえされていく不思議さも感じた。

 鹿島神宮の悪路王の迫力ある顔や 日本刀の原型といわれる
蕨手(わらびて)刀(蝦夷の刀)(右:写真)が目を引く。


 どちらの博物館も1回だけではまわりきれない、
企画展だけでもおもしろいのでできたら来年も行ってみたい。
また、毎年、市町村立の小さな歴史博物館も、建物の大きさだけではない、
その土地特有の歴史が知れてよいところがある。
そういったところも訪ねてみたい。





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最終更新日  2008年01月07日 23時37分40秒
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