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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2009年08月30日
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テーマ:本日のTV番組(41)
“日本海の道 ~幻の王国・渤海との交流~”がおもしろかった。
 NHK教育テレビの開局記念で“日本と朝鮮半島2000年”というテーマの第5回目であるが今回、古代における日本海の交流について焦点をあてている。日本海といいながら東北地方も出てくるのかと期待したが、リポーターが福井放送局のアナウンサーのためか北陸地方が中心の内容だった。

 4世紀(弥生時代末期)の 北陸地方と朝鮮半島と鉄製品(刀)と勾玉での交易、
5世紀の 若狭の国(上の塚・西塚古墳)と大伽耶との黄金製品での繋がり、
6世紀の 継体天皇を出した越王国と 百済(黄金製品)・新羅(角杯)の国との関わり・・・と、
時代を区切って紹介し、最後に8世紀の渤海との交流の話になる。

 渤海は現在の中国東北部とロシア、北朝鮮にまたがる、朝鮮系の高句麗遺民と高句麗の北の国にある靺鞨族とでつくられた国である。
 渤海と日本との交流は記録があるだけで計37回にもわたり、遣唐使が20年に1度なのに比べて 2.3年に1度の割り合いという多さなのだという。727年に始まりわかっているだけで少なくとも34回、使節団として2500人が日本に来たとさせる(ちなみに遣渤海使は14回)。遣唐使にくらべて 渤海使はあまりにも軽視されてきたのではないのかと思えるほどだ。
 渤海国は、最近でこそ韓国ドラマの“大祚栄”でも注目されたりしているが、その実はほとんどわかっていない謎の多い国のようだ。

 当時は 東京/上京という渤海の首都から“日本道”という日本海につづく道もあった。その終点の日本海側にある現ロシア沿海地方のクラスキノ遺跡の発掘場所を紹介する。発掘は まだはじまったばかりなのか一部しか発掘されていない。これからの発掘調査が楽しみだ。





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最終更新日  2021年09月19日 12時32分17秒
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