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テーマ:あの日・あの時(104)
カテゴリ:半生
いっこうに縮まらない臨床医としての能力。理論では絶対負けてないと思うが、理論どおり行かないのが生きている体だ。4年間も試験管やねずみの相手をしていたんだから、あたりまえといってはあたりまえか。
世界不思議発見をみていたら、吉村作治先生がこんなことをおっしゃっていた。 誰もやっていないできないことをすると よい。 誰もやってないことなんて、なかなか見つかるものではないが、 あまり誰もやってなさそうなことで、僕にできそうなことで、を見つける。 くらいのことはできるだろう。みんながあまり力を入れていないことで、しかもインパクトがあって、この病院でないとできないことで、僕に向いていること。そうなるともうー1つしかない。 人の力を借りることになる(英文公正にはDrHのお力が不可欠)のが、ちょっとよくないかもしれないが、 ”英語で書く症例報告 できれば、臨床研究” これだけはこの病院で殆どのDrしていない。というより、忙しすぎてできないのだ。過去には病理医の先生からの報告が2,3あるが、脳外科医による英文報告は皆無だ。 僕がこの病院にいたことの証にもなろう。 そしてどうせ書くなら英文だ! 報告する症例はあの ステレオ+シャント 報告する雑誌は 確実に原稿受諾してくれそうな雑誌。 注目度の高い雑誌。 みんなが持ってる雑誌。 となると、脳外科学会の雑誌が一番よかろう。 始めて症例報告(英文)したのもこの雑誌だったし。 それで、駒切れの時間を全部これにあてた。 仕事と論文書き。また一段と辛くなったが、 自分の存在価値を主張するためにはこれしかなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.11 00:06:24
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