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カテゴリ:半生
2000年頃としたのは、このあまりに悲しいエピソードがいつだったか、ショックではっきり思いだせないから。この3次救急施設に居た時のことは確かで、後半だったと思う。
その日もお約束の緊急手術。執刀はDrH。脳の減圧まで急ぐ手術だったので、二人してさささーっと仕事をしていた。(中大脳動脈瘤の破裂で脳内血腫を伴っている患者さんだったと思う。) 手術用顕微鏡を導入して手術もたけなわの頃、電話がかかってきた。 前にも述べたが、僕は手術中に電話をかけてこられるのは嫌だし、出たくない。 DrHはそういうことは特に気にされず、電話を断ることはしない。 3次救急施設なので、電話に出ないと症例を断ったと誤解される可能性があり、これを避ける意味もある。 DrH ”もしもし・・・ああ、そう・・” 一瞬暗い表情を見せられたが、そのまま何事も無かったように手術を続行。 DrHのお母様の訃報の知らせだった。 僕は知ってた。数週間前から、DrHのお母様は脳出血で闘病されていたのだ。 僕はとても悲しくて、涙で顕微鏡の視野が見えなくなってきた。 脳へらで脳を圧排しているので、 ”すいません、先生ちょっと手を引きます”といってしばらく助手を休んだ。 術後は術後患者さんの診療。 親が大変なことになっていても、目の前の患者さんを放り出して駆けつけることはできない。第一線のDrとはそういうつらい宿命を背負わされているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.05.05 10:53:37
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