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カテゴリ:半生
あたらしい展開は電話1本からはじまった。
診療報酬審査員になって欲しい。 医療機関から上がってくる診療報酬明細書(レセプト)をみて、 医学的な判断をする仕事だ。野球で言えば審判ですね。 脳外科の審査員はこの地方に3名のみ。 公の仕事で、 今の職を辞める必要もない! ”診療報酬に興味をもち、現役で診療をしている若い脳外科医に審査員を委託する” 方針が打ち出されたそうで、その候補に僕が選ばれたのだ。 その頃審査員は大抵50歳以上の、病院の院長や副院長。 審査員になれば、史上最年少30台の審査員となる。 ただ、書類審査と面接が必要という。 こんな僕だが、資格や論文など書類ならまあまあですよ。 病院院長もDrKも許可を出してくれた。 教授にも許可をもらいに行った。 この三者の許可は絶対必要と思っていた。 ただ、僕の印象として 教授はこの役職の重さを理解されていなかったようだ。 もし僕が教授なら、いやいやその職は君、どこどこのだれそれに譲ってくれとか、 そうかそれなら大学も適切にたのむ。くらいのことは言ったかもしれない。 あとは面接だけクリアーすればと思っていましたら、面接も クリアー。それどころか、先方から 先生、あと一人、優秀な内科医を紹介してほしいと! 講習会をうけて、夏から本格的に始動。 人間だれしも頂上があるという。 人生を振り返る時、まさしくこの2003年が僕の頂上だろう。 大学院の卒業時もかなりはじけていたが、この時代には比べるべきもない。 それでもやっぱり人生万事塞翁が馬 山の天気は変わりやすい。 このことが僕の運命を大きく変えていくことになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.05.30 18:45:35
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