僕にしかできないことは何だろう?(1997年秋)
いっこうに縮まらない臨床医としての能力。理論では絶対負けてないと思うが、理論どおり行かないのが生きている体だ。4年間も試験管やねずみの相手をしていたんだから、あたりまえといってはあたりまえか。世界不思議発見をみていたら、吉村作治先生がこんなことをおっしゃっていた。誰もやっていないできないことをすると よい。誰もやってないことなんて、なかなか見つかるものではないが、あまり誰もやってなさそうなことで、僕にできそうなことで、を見つける。くらいのことはできるだろう。みんながあまり力を入れていないことで、しかもインパクトがあって、この病院でないとできないことで、僕に向いていること。そうなるともうー1つしかない。人の力を借りることになる(英文公正にはDrHのお力が不可欠)のが、ちょっとよくないかもしれないが、”英語で書く症例報告 できれば、臨床研究”これだけはこの病院で殆どのDrしていない。というより、忙しすぎてできないのだ。過去には病理医の先生からの報告が2,3あるが、脳外科医による英文報告は皆無だ。僕がこの病院にいたことの証にもなろう。そしてどうせ書くなら英文だ!報告する症例はあのステレオ+シャント報告する雑誌は確実に原稿受諾してくれそうな雑誌。注目度の高い雑誌。みんなが持ってる雑誌。となると、脳外科学会の雑誌が一番よかろう。始めて症例報告(英文)したのもこの雑誌だったし。それで、駒切れの時間を全部これにあてた。仕事と論文書き。また一段と辛くなったが、自分の存在価値を主張するためにはこれしかなかった。