14世紀初頭に帝の位にあった花園院。かの方の呼称が萩原の院。出家後、花園の萩原殿に居住したことによる。能「富士太鼓」は能の中でも数少ない鎌倉時代末期を作中時間とし、ワキによって萩原の院の御代であることが語られる。本来“萩原の院”であれば鎌倉倒幕以後の呼称となるが、かの方の内裏での出来事と語られるので、1308-1318の話と設定されることになる。
学芸に優れた帝らしく、この作品の発端は、2人の楽人“富士”“浅間”のうちどちらを選ぶかという時に、帝の口ずさんだ歌で決まったことによる(この手の話もわりとある)。その歌によって“浅間”が選ばれるのであるが、興味深いのは“浅間”がなおも不安に思って“富士”を討ってしまうことである。「そんな男を楽人にするのはどうよ?」というツッコミはなしで、遺された“富士”の妻子が辛い思いを太鼓に打ち込めて恨みを晴らす形で終わる。
類曲に「梅枝」があり、こちらは“富士”の妻が霊となって現れて恨みを述べる夢幻能。現行で2曲もこの話が遺っている点も興味深い。どうした典拠で、この帝の時代に設定されたのだろう?
今日の舞台では、絶句とも思われない箇所で、どなたかの訂正が入った(後見からとも思えなかった)。言い間違いをしたのかもしれないが、それほど大きな違いだったのかは不明。絶句したとも感じられなかったので、謎のままだ。それが尾を引いたのか、その少し後で言い間違いがあった気がする(そちらは訂正なし)。
割と好きなシテ方さんだったので、なんだか全体にぴりっとせず残念であった。
そして今日は「乱」が。当たり年(と私が密かに呼ぶ)3人の2人目水上優さんが「猩々」<乱>を舞う。今日の「乱」は端整。ぴたっと収まる動きで上半身のぶれもなく、宝生流の地味な「乱」にふさわしい。片足を上げてぴたっと静止するのはかなり筋力を要すると思われるが、ぶれないで舞いきった。抑え気味な笑みの品のある面で、水上さんの端整な舞と上手く調和する。
例年通り、年末の会は大混雑。仕事帰りのため、最初の「絵馬」(武田さんが……)と狂言「文荷」(善竹兄弟が出たのに……)を観られなかったが、最後が期待通りで満足の会だった。