20日の日記
「川柳学」記事への反響があった。
「戦時下の川柳・俳句の弾圧」に対するものだが、今日の国際的緊張から共謀罪、有
事法などが浮上する中で、「いつか来た道」を再び歩むことだけは避けなければなら
ない。
先の大戦中、川柳家はこぞって「国家に協力」したともいえる。
鶴彬などのごく一部の例外的作家を除き、三太郎、雀郎をはじめとする川柳指導者、
果ては私の祖父・三笠なども含めて、川柳は<翼賛川柳>一色となった。
これは、好むと好まざるとに関わらず、時流が人々を呑み込んだことによるが、これ
を覚めた目で見詰めているひとも少なくなかったはずである。しかし、川柳は「翼賛
化」した。
雀郎の場合は、日本川柳協会の代表という立場から、国家に<派遣>されて大陸の川
柳人の句会指導や講演をさせられたわけだが、決して時局を肯定していたとは、残さ
れた作品からして、そう思えない。
国家が集団的狂気の渦に飲み込まれると、川柳のような批判精神をもった文芸でさえ
<翼賛化>する。
今日、大新聞の編集局でも、体制批判が強い川柳や皇室がらみの作品などに目くじら
をたててピリピリしている。
選者が、価値観で句を選べなくなり、作者は、検閲によって作品の発表場所を失って
きている。
川柳の表現が自由に確保される世情を心から願いたい。