5414723 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

アウト・ドアめし

アウト・ドアめし

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

高橋銀針

高橋銀針

Calendar

Category

いろいろ

(74)

縄文

(17)

多文化共生

(252)

ハピネス

(273)

音楽

(404)

(237)

飲み物日記

(536)

建築・デザイン・美術

(120)

料理

(396)

(223)

環境

(180)

ビジネス

(246)

道具

(70)

子育て

(408)

(369)

(111)

spirit

(102)

(123)

中国

(268)

韓国

(46)

台湾

(75)

生活

(73)

文具

(43)

千葉

(107)

新潟

(126)

長野

(128)

神奈川

(35)

埼玉

(45)

茨城

(71)

群馬

(41)

栃木

(62)

東京

(188)

静岡

(54)

山梨

(27)

宮城

(0)

東北

(107)

Recent Posts

Favorite Blog

サツマイモを掘ろう… New! 根岸農園さん

■手打ちそば 松隣@… New! LM2さん

蜂起した民衆★「光州… New! モイラ2007さん

中国版半農半X、202… 塩見直紀(半農半X研究所)さん

ダッチ鈴木のダッチ… ダッチ鈴木さん

Comments

effelpist@ kilovermek.es effelpist <a href="https://kilovermek.es/…
坂東太郎G@ 小泉武夫 今回こちらのtitleです。 もしよろしかっ…
背番号のないエース0829@ Re:FNS歌謡祭 アルフィー 「君が通り過ぎたあとに-Don't Pass…
高橋銀針@ Re[1]:楽器が上達する時間(10/06) 初台ドトール照すマンさんへ いつでも準備…
初台ドトール照すマン@ Re:楽器が上達する時間(10/06) そろそろテラスで集う季節になったね🎵
2014.11.29
XML
カテゴリ:ハピネス

天沼弁天池公園へ行く。

ここは、その昔、料亭「天沼池畔亭」で、その後、西武グループの堤氏の持ち物としても使われたという。

西武ゴルフ研修所や第二夫人の妾宅だとも言われている。

ググると、書籍「プリンスの墓標」が出てきた。

西武鉄道再建のため杉並区に売却されたという。

 

公園には、豪邸と思われる門が残り、児童遊具と、郷土博物館分館が建てられている。

杉並区立郷土博物館分館 http://www2.city.suginami.tokyo.jp/histmus/index.asp

(江戸川区でも永井荷風の小岩訪問などの特集がされているが、井伏鱒二や有吉佐和子や太宰治などにはまだまだ至らない。東京での生活を出発させた、明石家さんまや、椎名誠などの特集などどうだろうか。また、ジャニーズの幾人かは江戸川区出身である。まだまだ、郷土を愛するネタは見つけられるはずだ。)

KIMG0068.JPG

脇には、日本庭園のような池があり、ここが、湧水の出る天沼弁天池の現在の姿となる。

 

数奇な歴史を重ねた場所であり、水が関係するところは、なにかの水脈で繋がり、新しい関係が生まれ続けようとしている場所なのかもしれない。

 

郷土博物館分館では、50年前の東京オリンピックにまつわる展示がされている。

KIMG0069.JPG

杉並区に在住する有志から、提供されたオリンピックにまつわる品々が展示されていた。

当時の東京オリンピックが、国家事業で、国民が高度成長の中で、熱狂していたのが見て取れる。

現在の、デフレ脱却のこの道しかない、といった選択の幅が狭い空気はない。

もっと伸びやかな未来を感じさせる動きがある。

撮影は禁止なので入口の案内を写真にとる。

 

聖火ランナーのマラソンコースが地図で再現されていた。

トーチの複製が展示され手に持ってみるとかなり重い。鉄アレイ2キロ以上はあり、これに聖火が装着されるので、聖火ランナーの手に掛かる負担は大きかったことがわかる。

 

1階では、文学者と政治家の説明パネルがある。

荻窪が、上品なイメージがあるのは、大正から昭和初期にかけて、東京近郊の別荘地だったからで、西の鎌倉、東の荻窪と呼ばれている。

荻窪が別荘地として開発されただなんて、当時の鬱蒼と茂る武蔵野の雑木林が連想される。


KIMG0070.JPG

中央線を境に北側に文人が住み、南側が政治家が多いようだ。

ウィックにはこう書かれている。

荻窪は、大正から昭和初期にかけて東京近郊の別荘地として西の鎌倉、東の荻窪と称され憧れの的だった。1927年(昭和2年)に与謝野晶子・与謝野鉄幹が南荻窪に居を構え、さらに1937年(昭和12年)に公爵で 内閣総理大臣の近衛文麿が別邸「荻外荘(てきがいそう)」を構えたところから閑静な住宅地として評価が高まり、井伏鱒二、太宰治、棟方志功、阿部知二、戸川秋骨、 石井桃子、 恩地孝四郎、 尾崎喜八、 長谷川四郎、大田黒元雄、佐藤慶次郎、遠藤実、柴田翔、三宅榛名などの作家・芸術家、音楽家、評論家など多くの文化人が移住するようになった。井伏鱒二著の『荻窪風土記』には、戦前から作家、画家等の知識階層が多く住み、荻窪の文化を形成していったことが書かれている。

 

縄文研究家の岡村道雄さんも「杉並の縄文人」と称しているがどのあたりに住んでいるのだろうか。

もう少しアンテナを伸ばして、いろいろな方にお話を伺いたくなる。

そうすることで、荻窪の成り立ちがもっと見えてくると思う。

 

どうにか近場を楽しむ方法を模索している。













お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014.12.07 20:50:37
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X