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カテゴリ:ハピネス
天沼弁天池公園へ行く。 ここは、その昔、料亭「天沼池畔亭」で、その後、西武グループの堤氏の持ち物としても使われたという。 西武ゴルフ研修所や第二夫人の妾宅だとも言われている。 ググると、書籍「プリンスの墓標」が出てきた。 西武鉄道再建のため杉並区に売却されたという。
公園には、豪邸と思われる門が残り、児童遊具と、郷土博物館分館が建てられている。 杉並区立郷土博物館分館 http://www2.city.suginami.tokyo.jp/histmus/index.asp (江戸川区でも永井荷風の小岩訪問などの特集がされているが、井伏鱒二や有吉佐和子や太宰治などにはまだまだ至らない。東京での生活を出発させた、明石家さんまや、椎名誠などの特集などどうだろうか。また、ジャニーズの幾人かは江戸川区出身である。まだまだ、郷土を愛するネタは見つけられるはずだ。) 脇には、日本庭園のような池があり、ここが、湧水の出る天沼弁天池の現在の姿となる。
数奇な歴史を重ねた場所であり、水が関係するところは、なにかの水脈で繋がり、新しい関係が生まれ続けようとしている場所なのかもしれない。
郷土博物館分館では、50年前の東京オリンピックにまつわる展示がされている。 杉並区に在住する有志から、提供されたオリンピックにまつわる品々が展示されていた。 当時の東京オリンピックが、国家事業で、国民が高度成長の中で、熱狂していたのが見て取れる。 現在の、デフレ脱却のこの道しかない、といった選択の幅が狭い空気はない。 もっと伸びやかな未来を感じさせる動きがある。 撮影は禁止なので入口の案内を写真にとる。
聖火ランナーのマラソンコースが地図で再現されていた。 トーチの複製が展示され手に持ってみるとかなり重い。鉄アレイ2キロ以上はあり、これに聖火が装着されるので、聖火ランナーの手に掛かる負担は大きかったことがわかる。
1階では、文学者と政治家の説明パネルがある。 荻窪が、上品なイメージがあるのは、大正から昭和初期にかけて、東京近郊の別荘地だったからで、西の鎌倉、東の荻窪と呼ばれている。 荻窪が別荘地として開発されただなんて、当時の鬱蒼と茂る武蔵野の雑木林が連想される。
中央線を境に北側に文人が住み、南側が政治家が多いようだ。 ウィックにはこう書かれている。 荻窪は、大正から昭和初期にかけて東京近郊の別荘地として西の鎌倉、東の荻窪と称され憧れの的だった。1927年(昭和2年)に与謝野晶子・与謝野鉄幹が南荻窪に居を構え、さらに1937年(昭和12年)に公爵で 内閣総理大臣の近衛文麿が別邸「荻外荘(てきがいそう)」を構えたところから閑静な住宅地として評価が高まり、井伏鱒二、太宰治、棟方志功、阿部知二、戸川秋骨、 石井桃子、 恩地孝四郎、 尾崎喜八、 長谷川四郎、大田黒元雄、佐藤慶次郎、遠藤実、柴田翔、三宅榛名などの作家・芸術家、音楽家、評論家など多くの文化人が移住するようになった。井伏鱒二著の『荻窪風土記』には、戦前から作家、画家等の知識階層が多く住み、荻窪の文化を形成していったことが書かれている。
縄文研究家の岡村道雄さんも「杉並の縄文人」と称しているがどのあたりに住んでいるのだろうか。 もう少しアンテナを伸ばして、いろいろな方にお話を伺いたくなる。 そうすることで、荻窪の成り立ちがもっと見えてくると思う。
どうにか近場を楽しむ方法を模索している。
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Last updated
2014.12.07 20:50:37
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