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初台ドトール照すマン@ Re:楽器が上達する時間(10/06) そろそろテラスで集う季節になったね🎵
2016.03.28
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事実とは奇妙なもので、そこにあるのに気がつかないまま過ごされる。

ネット社会で、検索すれば、なんでも手に入るようでいて、実は、何もしないと何も手に入らない。


カミュの異邦人を読んだ。

この小説が出たときの社会の衝撃と、現在の人の心に住む魔物状況はどうだろうか。

ムルソーのような母との関係でさえも希薄な、自分の目の前の出来事しか見えない人生を送る人がどれだけ多くなっただろうか。

時代を先取りした象徴的な人物が生まれていた。

ムルソーはカミュが26歳の時に感じていた気分である。

第二次世界大戦が始まった1939年の翌年である。

この小説と似た空気感は、ロストジェネレーション作家と言われる方の作品郡だろうか。

ヘミング・ウェイや、F・スコット・フィッツジェラルドや、ワインズバーグオハイオのシャーウッド・アンダーソンだろうか。

そこには第一次世界大戦などの経験で全ての価値観を捨て去ったような気分が蔓延している。

当時の空気感だ。

その似た空気のさらに心の中の起きている動きを噴出させ結晶化したのがこのカミュの異邦人だ。



この小説の最初のところに、ミルク・コーヒーが出てくる。

『私はミルク・コーヒーがだいすきだから、』(新潮文庫改版P13 窪田啓作訳)とある。

これは、おそらく、カフェオレだろうな、と思って検索してみた。

すると、フランスの版権は70年だが、カナダの版権は50年なので、ネットで、異邦人を読むことができる。カナダ版を見つけた。

http://wikilivres.ca/wiki/L%E2%80%99%C3%89tranger/Partie_1/I


そこにはこうある。

Il m’a offert alors d’apporter une tasse de cafe au lait. Comme j’aime beaucoup le cafe au lait, j’ai accepte et il est revenu un moment apres avec un plateau.

j’aime beaucoup le cafe au lait,というのが、『私はミルク・コーヒーがだいすきだから、』というところだ。

aimeは、好きだ、だ。アモーレとか歌がある。

(フランス語がめんどくさいのは、リエゾンしたり、語形が変化する。しかも名詞に男女と中性の区別がある。あるのはわかるが、そこで終わって、その先に進まない。)

le cafe au lait,というのが、レ・カフェ・オ・レッ、いわゆるカフェオレだ。


いったいムルソーは、このカフェオレをどんな器で飲んだのだろうか。

コーヒーカップなのか、もしくは、この門衛が日頃愛用しているどんぶりのようなカフェオレ器だろうか。

さらに、この時、ムルソーは、母の死の当日、タバコを吸うことをためらい、門衛とタバコを一緒に吸うことで、互いの悪事を共有するかのような時間を過ごす。タバコを吸いながら門衛の器で一緒に飲むカフェオレの時間だ。

この一緒に時間を過ごして、知り合いになって小さな罪を共有したかに思えた門衛が、裁判の席で、ムルソーの母の死の当日の様子を語りだす。

あたかも正義の側に立ってその日のことを証言する。

その発言を通して、ムルソーは、初めて自分の罪の意識を感じる。(P114)

いっしょに悪事を働いた、もしくは、仲間意識だったはずが、実は、そんな深い関係も築けたわけでもなく、なにか、事が起きると相手側に回って自分が非難される。門衛は、葬式の当日、タバコは吸うべきではなかった、と言い、さらに検事は母の遺体を前にコーヒーは断るべきだと付け加える。(P116)

« Oui, MM. les jurés apprécieront. Et ils concluront qu’un étranger pouvait proposer du café, mais qu’un fils devait le refuser devant le corps de celle qui lui avait donné le jour. »『しかり、陪審員の方々は十分評価されるでしょう。陪審員方は、他人ならばコーヒーをすすめて差支えない、しかし、息子の方は、生命を授けてくれた母親の遺体を前にしては、それを断るべきだ、と結論されるに違いない』(窪田啓作訳)(ここでは、コーヒーとなっている。そして、『un étranger 』という単語は他人ならば、と訳されている。母の死体の前で、タバコ、コーヒーをのむことは不徳とされる感覚があることが伺える。L’Étrangerとun étrangerのニュアンスの違いはなんだろうか。)

そんなこれに似たプチ裁判のような事態は、現代生活の中で何度でもでてきそうだ。

会社、学校、飲み会、クラブ活動など。

このムルソーが持つ、少しは親しいものを感じたはずなのに、バッサリ裏切られる、虚しさと、傷つかないために、バリヤを張ってしまう心の気分があちこち広がっている。



昔に読んで、よくわからなかった。

もう一度読み直すことで、焼けつく太陽と海で泳ぐ気持ちいい冷たさと、人の世界の冷たさが混ざるたくさんの魅力が詰まった小説であることが分かる。

練馬区桜台「久松湯」で、アルジェリア風海水浴体験 銀針湯めぐり


お芝居をしないと、この社会では、異邦人として扱われるほかない。金原瑞人の詳しい語注で辞書なしに読める。


代表作「異邦人」が投げかける本質的な4つの問いを中心に、カミュが作品に込めた想いをときあかす。変えることのできないものに意味を与え、和解を可能にする文学の豊かな力が見えてくる。


植民地に生まれ地中海を跨いで活躍した『異邦人』の作家は、なぜ、いかにして歴史に抗ったのか。『最初の人間』に至る小説創造と、アルジェリア時代や戦中・戦後に展開された政治的・哲学的思索を合わせ捉えることで、歴史と非ー歴史の境界で思考し続けたカミュの軌跡を鮮やかに照らし出す。






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Last updated  2016.03.30 04:30:47
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